2011年4月10日日曜日

誰のものかと

 こういう日曜日は、薄曇りで、桜は満開で、どうでも良いから洗濯物は外に干して。
義父の食事は確保して、なんて午前中は忙しいのに、小学校の体育館の投票場へも出かけます。
まだ選挙ポスター掲示板は、知事分あって、すぐ区議選もあるようで隣に設置されています。
知事候補全員が貼られている訳でもないですが、選挙民としての義務感があります。
でも、義母は入院中で誰も一言も触れていません。義父も歩くのも面倒と投票しないし、若い世代も誰も良いのがいないと言います。
 有権者って重いですね。民主政治は、選挙からなのでしょうか。選良であればいいのですけれど、消去法で当選する人が勘違いしたまま数年を経るなんて事を繰り返して。これほど選びようがない、どれをとっても期待はしていないのに投票用紙は実効しなければならないのかと思うのです。
 有権者は政治に期待しているのでしょうか。何を・・・・??。

 坂本竜馬が、アメリカの将軍は入れ札で決めると聞いて、民主主義を納得したというような話を聞いた覚えがありますが、入れ札で民意があらわされると考えられたのは、将軍家も世襲だったのと違いを知ったからです。さて、まつりごとは、常に民意を得なければならないものです。いろいろな時代にいろいろ体制で、まつりごとの仕組みが考えられ、常に民衆を味方にする事で行われるのでしょうけれど、今民主的な政治は選挙という方法で表せているでしょうか。選挙をしなかった頃の人々の暮らしの中での社会としての決めごとは、地域の中での顔役たちや、いわゆる実力のある人が担っていたのでしょう。
 
 現在、もしかしたら多くの人、有権者が、選挙で選ばれた政治家がしてきた事は、評価していないけれど、自分たちの選挙民であることの義務行使で投票しなければならない事が先にあって、人物はあまり選べない中で投票が行われているのではと、思うのです。それほど、与野党どちらと入れ替えても政治家が機能しないと言う事を思い知ったこの数年なのです。区議選もはじります。宣伝カーは自粛して欲しいです。

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