2012年5月27日日曜日

適地適作

 4月に入って義父が買った苗は、こころの落ち着かない往来の中にも山梨の庭に植えられました。そのほかにも、母の住まいの周囲から移したもの、残していった草花の種、そして、今の墨田の家からの移動している植物。そしてもともとの庭にあるいのち。5月の庭は、まだ、行ったり来たりなのですから、充分に育てることができないのにも関わらず、植物の混住です。
 先々週に義父が植えたスイカの苗は、水不足に喘いでいます。草取りの片方に、昨年から積んでおいた剪定残・抜き草が堆肥化したものを土に被せます。
 ここは何もない土だから、さらさらで、粒になっていないと、義父は言います。ともかくなんでもくれてやれ。トウモロコシは豊富の名産。塩も無い台所で茹で、その皮も芯も庭に放って戻ります。
 中央高速の集中工事は終わっています。首都高速になると、虚飾と収奪の都会を眺めるような気分になりますが、ここに暮らしがあるという事も、抜きに考えてはいけないのです。高速から見える日本銀行。
 生活保護を芸能人の母がなんのと、つまらない報道。そしてなんら本質を守らない、厚労相の話として聞こえる事。個人が、いかに社会から保障されるかどうかという仕組みにしないぞ。扶養の義務は、どんな場合でも家族に第一義にあるぞと、言うこの世間。政治の愚。女性が、不労の者が、誇らしく生きていける社会を作れるのでしょうか。穀潰しと言わない食と農のあり方は今の世に問えるでしょうか。
 何故か、桃とトウモロコシの里にレモンを植えた義父。

2012年5月25日金曜日

自分でバンバン

いよいよ突入したリタイア生活。こちらは傍観者のつもりなのですが、どうも文庫番番です。何この会社は登記移動はできるの?返済条件は?  いきなり突っ込まれてます。しばらくは調整期間だからと思いますけど、これからの数十年・・・これまでの年月より大事なのですから、できるかぎり開示と魔法とを残しておきましょう。  台所は、二人で立つにはL字型よりI字型の方が云々。ええい五月蠅い。今まで、義父母も出入りする中子育てしてきたのは私でしょ。と言ってはいけない・・・。これからは二人で楽しみ・・おつまみ?!!。 違うでしょ。  ピンセットは無いか?薬箱に入れてあるわよ。ないはずないから、ゆっくり自分で探して。訊く前にあるべきところを探してね。で、ピンセットで何するの?え、石けんカス取る、ほー。じゃあやって、今まで何十年、石けん運動の課題だったのを、ピンセットですか。ほおお。盥に洗濯板ですれば、何の問題も無いわけですよ。全自動をエコポイントで買うなんて言ったのは誰でしたかね。  これから、ですね。 え?間もなく事業税、文庫番は自立自尊の・・・!!会社。

2012年5月17日木曜日

毎日が水曜日・・・

水曜日定休だった、我が連れ合い。間もなく毎日がお休み??。 俄かに、食と農と、安らぎを論じる人になっています。土いじりの場を山梨に、そして、墨田の生活とどう組み合わせていくのでしょう。我が社事業も進めないと文庫番の老後は、誰にも面倒を掛けずに逝けるとは解らないのです。
 火曜日、母の偲ぶ会に手書きの原稿があれば、刷って参加者にお渡ししたいのでと、実行委員会事務局からの電話がありました。はいと返事はしますが、どっひゃーと言う感じ。すっかり山梨に運んで、取り敢えず空いてる収納に押し込んだところですから、段ボール開封して探さなけりゃならないけれど、砂漠の中で針を探すような気分です。
 水曜日、ともかく草取りもしなければならないので、連れ合いと分担してやろうと、義父母たちの昼食を娘たちのものと合わせて4つ。海苔弁作って置いておくことにしました。三番瀬の海苔、天然醸造醤油、鰹節削りたて、でもこれだけじゃ色も無い。常盤の卵の玉子焼き。昨日の芋天あった。朝市で買った大豆と昆布で煮た煮豆。やっぱり色が無いし隙間が、野菜は絹さやとにんじん。茹でます。この頃柔らかく小さくが調理の基本になってきました。さあできた!洗濯干して、軍手も持って。え、義父が予定を尋ねるので、この次の日曜は朝市で、その次の水曜は会議予定だから、山梨には当分私は行けない。
 行く!え?!。義父は日曜に植えた、スイカとトマトの苗が見たいようです。え?さっき、今日は私たちで行くからって、ぇ、ぇ。お弁当用意したのに。素直に口と表情に出せる嫁。車に移植予定だった、植木鉢の植物を積んでいた連れ合いに、俺も行く!と言います。かあさんも用意しろ!え?連れ合いまでほぇ?と聞き返しています。
 分かった、わかりました。と素直な長男。座席を調整し、義父の手を取って玄関から車に連れていきます。隣には、自分で歩く義母。出発しました。
 首都高から中央高速に、どひゃあ!何?集中工事。渋滞。20キロ・・お義父さん!再来週だったら込まなかったね。お年寄との長道中。休憩入れましょうか?と言っても、途中で降りる方が煩わしいとひたすら、4時間。道の駅で私たちのお弁当調達して、床の間の前に義父は落ち着くのです。お気に入りの様です。義父の故郷の家の話が出てきます。
 それから、資料さがしと草取り。短時間ですが、義父は庭で野外セットの椅子に陣取ってます。押し入れの段ボールにある母の資料。もう、私が整理することになると、予定していて、活動毎に分けておいてくれてます。それでも、適切なことばは?と思っていると死刑廃止の一連の紙封筒に合わせて、自分の手書き原稿を入れてありました。見つけやすかったです。今まで、母のところに行き来していた下の娘も手伝って昨年資料の整理はしていました。そして今回運ぶための荷造りは上の娘が文庫番が、資料整理を事業化するということを考慮しつつ詰めたのです。何よりも、82歳までの活動を項目的に分けて、準備して逝っていることに、ますます父にも母にも及ばない不肖の子である自分たちを考えます。
 まるでオアシスでした。そこから、現実に帰って、庭に出ます。五月なのに炎天下のような草取り、義父はあれこれ、抜いた草を置く場所を指定します。全然良い土ではないので、これからの土づくりは大変です。くわの柄を支えに立って見始めています。
 それから、また長々と、帰りも渋滞は当然。これからは、曜日にとらわれず行けるからね。そのうちに泊らないとね。また草との競争になるのでしょう。私たちは時間とは競争しないで、物事を整理していく道筋が、この土いじりなのでしょう。

2012年5月14日月曜日

全村避難ということ

先週土曜日は、東新宿パルシステムのテストキッチン交流ルームでの飯館村 味噌の里親プロジェクトの2011年12月から2012年3月までの活動報告会でした。
 約200名の方が関わってくださって、全体では500㌔、里子の味噌として預かっていますのは120㌔となった「さすのみそ」50㌔。
 どういう経緯で、お味噌の救出に至ったのか、開催した味噌作り講習会各会場での様子、個人で作った方、カンパのお気持ちを寄せてくださった方。この話を聞いた醸造会社の方。
 多くの方が発言してくれて、そして、さすのみそでの味噌汁パーティ。有機白米のおにぎり。(これも味噌で味わって)
 報告会ながら、食べることで和む大切さを感じながら、いつか、福島の子供たちとこの味噌の里子で作ったお味噌汁を飲む企画をしなければと思いました。できる限り早くしたいものです。

   菅野宗夫さんに来ていただいて、飯舘村民の今を、農業委員会の立場、こだわり農産品生産の立場でお話してもらいました。
 今の飯館村民は、全村避難の中で仮設住宅3割、借り上げ住宅7割で暮らしているということ。そのことだけでも息を飲みます。いきなり、日常のくらしからひきはがされて、与えられた住まいの中に入ってくれと言うことなのです。
 文庫番も、この数週間、茨城の荷物を仮置きして、山梨に運ぶというてんやわんやを体験しましたが、それはどこかで納得できる荷物の移動でした。
 “くらし”を移すということ、その先に希望を見いだせないままに。それが、東京電力福島第一原子力発電所事故の結果、村民が負ったものなのです。伊達市の仮設住宅で35歳の男性が亡くなって見つかった話もされました。私たちが1月に訪問したところの中だということです。生き甲斐はどこにあるのか、やはり、農業の道を模索したい。隣県に土地を借りて作る事でも、おじいちゃんの喜びになる。食べるということの大切さ。アルミサッシではない家。風の入ってくる家に住むということ。本来のくらしがあったところ、ロスト・カントリーだと!。
 だから、見知らぬ人達が、食文化を守って繋いでくれるというそれだけでも意味があると、話してくれたと要約します。
 食べる事で応援するというのは、浅はかな表面上の論議ではないはずだと思うのです。くらしそのものが、どれほど食と農に拠ることなのか。再確認できた味噌汁交流会でした。
 さて、最後には、6月3日に行われる味噌の天地返しに、天ぷら油リサイクルバスで行くツアーのご案内でしたが、最低催行人数まで、まだまだです。預けてある先は埼玉県神川町ですから、新宿発で日帰り企画。いかがでしょう。天ぷら油リサイクルバスでいく味噌の里親プロジェクトinヤマキ醸造

2012年5月11日金曜日

思った通りに

しなさい。自分で納得して考えた通りに。ということなので、あれこれ処しているのですが、滅多矢鱈に忙しい事になっています。もちろん文庫番は、会社に居るのですから、それなりのお仕事をしなければなりません。そちらはゆっくりでも進めます。  日を決めてしているのは、社会性のある約束事だったのだと、ひとの世の決め事のあり様が、実際に行いながら納得できました。一つ賢くなったでしょうか。  しかし、息つく暇もなく日々すごしています。これも一時なのでしょうけれど、せっかくのご厚意を寄せてくださっている方々へのお礼もすっかり滞ってしまい、まさに渋滞状況です。  思うがままに、物事を進めて良いとは、自分で責任をもって社会に対しなさいということです。  連れ合いは、いろいろな経験を私にさせて、進み具合に、彼なりの考えは言いますが、私のすることは、今回も含めて、尊重してくれています。  あまり、世間ではここまで、やらせてもらえる事はないよね。と今は、嫁の立場でもある長女と、感心して話しています。  それでいて、放任でもないのですが・・・・。

2012年5月8日火曜日

疎密

遣り遂げた感があります。一カ月は、短かったのか長かったのか、ひたすら旅の途上の一点で、自分の周りの空気も風景も別な流れがあるような、それでいながら、非常に現実感をもって、しなければならない事の順序立てをして、自分の思うままの采配で一つずつを決断して、人生の秤を持っている。  本日、二通目のお知らせを200枚ばかり投函してきました。  この期間が定められているのも、自分自身のけじめ。できることとできない事がありました。疎遠であったと思っていたところが、深いつながりがあったり、案外スルーであったり。そして、旅の途上と言いながら、自分にとってのこころ休まるところも、いつでも帰れると、それは場所というより、人のつながりかもしれないと、永遠に続く繋がりが見いだせたのです。  連休があけて、どっと、進めていなければならなかった日常の課題が、やってきています。 これはこれで、また少しずつやっていけば、大丈夫よ。必ず前に進めるから。