2012年5月17日木曜日

毎日が水曜日・・・

水曜日定休だった、我が連れ合い。間もなく毎日がお休み??。 俄かに、食と農と、安らぎを論じる人になっています。土いじりの場を山梨に、そして、墨田の生活とどう組み合わせていくのでしょう。我が社事業も進めないと文庫番の老後は、誰にも面倒を掛けずに逝けるとは解らないのです。
 火曜日、母の偲ぶ会に手書きの原稿があれば、刷って参加者にお渡ししたいのでと、実行委員会事務局からの電話がありました。はいと返事はしますが、どっひゃーと言う感じ。すっかり山梨に運んで、取り敢えず空いてる収納に押し込んだところですから、段ボール開封して探さなけりゃならないけれど、砂漠の中で針を探すような気分です。
 水曜日、ともかく草取りもしなければならないので、連れ合いと分担してやろうと、義父母たちの昼食を娘たちのものと合わせて4つ。海苔弁作って置いておくことにしました。三番瀬の海苔、天然醸造醤油、鰹節削りたて、でもこれだけじゃ色も無い。常盤の卵の玉子焼き。昨日の芋天あった。朝市で買った大豆と昆布で煮た煮豆。やっぱり色が無いし隙間が、野菜は絹さやとにんじん。茹でます。この頃柔らかく小さくが調理の基本になってきました。さあできた!洗濯干して、軍手も持って。え、義父が予定を尋ねるので、この次の日曜は朝市で、その次の水曜は会議予定だから、山梨には当分私は行けない。
 行く!え?!。義父は日曜に植えた、スイカとトマトの苗が見たいようです。え?さっき、今日は私たちで行くからって、ぇ、ぇ。お弁当用意したのに。素直に口と表情に出せる嫁。車に移植予定だった、植木鉢の植物を積んでいた連れ合いに、俺も行く!と言います。かあさんも用意しろ!え?連れ合いまでほぇ?と聞き返しています。
 分かった、わかりました。と素直な長男。座席を調整し、義父の手を取って玄関から車に連れていきます。隣には、自分で歩く義母。出発しました。
 首都高から中央高速に、どひゃあ!何?集中工事。渋滞。20キロ・・お義父さん!再来週だったら込まなかったね。お年寄との長道中。休憩入れましょうか?と言っても、途中で降りる方が煩わしいとひたすら、4時間。道の駅で私たちのお弁当調達して、床の間の前に義父は落ち着くのです。お気に入りの様です。義父の故郷の家の話が出てきます。
 それから、資料さがしと草取り。短時間ですが、義父は庭で野外セットの椅子に陣取ってます。押し入れの段ボールにある母の資料。もう、私が整理することになると、予定していて、活動毎に分けておいてくれてます。それでも、適切なことばは?と思っていると死刑廃止の一連の紙封筒に合わせて、自分の手書き原稿を入れてありました。見つけやすかったです。今まで、母のところに行き来していた下の娘も手伝って昨年資料の整理はしていました。そして今回運ぶための荷造りは上の娘が文庫番が、資料整理を事業化するということを考慮しつつ詰めたのです。何よりも、82歳までの活動を項目的に分けて、準備して逝っていることに、ますます父にも母にも及ばない不肖の子である自分たちを考えます。
 まるでオアシスでした。そこから、現実に帰って、庭に出ます。五月なのに炎天下のような草取り、義父はあれこれ、抜いた草を置く場所を指定します。全然良い土ではないので、これからの土づくりは大変です。くわの柄を支えに立って見始めています。
 それから、また長々と、帰りも渋滞は当然。これからは、曜日にとらわれず行けるからね。そのうちに泊らないとね。また草との競争になるのでしょう。私たちは時間とは競争しないで、物事を整理していく道筋が、この土いじりなのでしょう。

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