2009年10月30日金曜日

炭絵


29日30日と岩手の軽米町に行ってきました。自分のスケジュールが込んでいて、申し訳ない事ばかりでした。
マハラバ文庫としての、営業でもあるのですけれど、個人のホームページ風土記にも書かないとと焦っています。
雑穀・もてなし・つなぐ・循環、書かなければと思いつつ、今日は就寝。

2009年10月19日月曜日

原則論母娘

 母のところに行くのは、なぜか配送日が多いけれど、母からは、細かいところにも目の届くヘルパーさんたちと違って、ぶらっとしか寄らずに、あら探しをしているような娘に思われるらしいです。少しばかりの本の片づけをして、お茶のみ話なのに、「この辺りで、生協とっているというだけで、贅沢していると思われちゃうから。」と言うので、猛然と反論をしてしまうのです。本来の協同組合の役割は持たざる者同士が手を携え合って、貧困から社会を変えていこうという運動よ!「だって、そんな事配達のお兄ちゃん言わないし、・・・。ヘルパーさんは生協で購入しなくてももっと安いものあるから無理に買わないでって教えてくれるし。やっぱり生協は高いもんだとこの辺じゃ思っているんだよ。」
 そこをね、みんなで助け合って、良いものを安くできるしくみが生協だって説明してほしいな。生協にだって配達に来る人も説明できるように教育の充実を言ってもいいんじゃない。そこにお金を使うことが大事だって利用している組合員だから言えるんだから。「アンタだったら言えるかもしれないけれど、私には良くわからないもの」そんな事じゃあ困るな。生協は責任を持つ意思のあるものによって成り立つ組織なんだから、お母さんもお母さんの責任で言えるはずなんじゃない。そうでないと、なんのためにユニオンまでやっているんだか、言えるはずじゃないの?
「・・・・・・そうやってまた、苛める。」これじゃあ、高齢母虐待娘の典型になってしまう。
生協は、高いものを売り付けていると、生活保護の家計では利用するのは贅沢だと、周りから思われてしまうのでした。

2009年10月17日土曜日

八十路の抵抗

春からディサービスに行っている母が、びっくりして話してくれたことです。
いろいろと、季節ごとの行事で通所者も楽しんでいるんだけれど、名月に大きな花瓶に薄の穂を飾って、その後ろにね・・・。満月の代わりに日の丸の旗を壁に張っていたんだよ。あら黄色くないのねって言ったけどね。そしたら今週は運動会で、フレーフレーって声援するばかりじゃだめで、国歌斉唱までみんなでするんだけど、その辺りではもう疲れて口が開かなかった。職員さんたちは、さっきまで元気だったのにって不思議な顔していたけれど、もっと不思議なのは、周りのそれまでぼーっとしていた人たちが大きな声で歌った事。私は歌わなかったよ。だそうです。年とるのも楽じゃないようです。

2009年10月11日日曜日

秋日和


昨日は、1964年開催の東京オリンピックを記念した、体育の日。それは、晴れの特異日だから選ばれたということですが、近年は、天気もまた固定観念では語れなくなって、台風18号の残した落ち葉を片づけて、出かけていました。それでも、秋日和。

 午前中の話し合いでは、東京オリンピックの年を語れる人の集まりで、あの年に、スーパーマーケットというものが始まった。とか、それまでの瓶牛乳を牛乳屋さんが配達していたのが、紙パックの牛乳の登場した年だとか、清掃のボランティアをしたけれど、あの頃にはボランティアという言葉はなくて、「ご奉仕」と言っていたと、投げかけた話にこんなにも語れる内容があるのだと驚きながら、その会議は閉じて、青山の国連大学前のファーマーズマーケット@青山。
若い交流は何かを生み出している。

 渋谷が今農を語る場なのだと、そして、知っている顔の生産物。「顔の見える関係」という言葉も変容できる仕組みを今創っている。

2009年10月8日木曜日

この数日メールサーバー不調

今日は、台風のせい??送信ができない日。
この数日は迷子で受信できなかったものがあったとか。
ブロバイダーは若手の小さいところ。どうしたのかな?