2010年5月29日土曜日

筋を通せない



 5月を終える前に、少し書類資料の整理を・・・・。始めても読みふける半日になります。まだ出してあるホットカーペットの上で文箱開けたりしながら、白保のサンゴ礁を守ろうとあったのが1984年。だったのか、平良さんからの呼びかけかなど見たりして、そうそうこのころは大仏の姓で書いていこうとしていたのだったけど、今はどちらも使う両姓使用をしているのは、間に自他との在り方について、頓着しなくなったからだろうか。家とは、夫婦とは?自でありまた他であり・・・・。そんな感じで通そうとした筋が見えなくなって、右往左往。右も左もあっても良いか、それも在り。そのような時期を経て多くの人が呼ぶ文庫番でしかなくなったのでしょう。
 今読みなおしていた本で思い出した、父の文章。これも署名はしてないけれど、和尚の思想の一部となっているものです。マハラバ文庫でアップしていかないとならないのかしら。父はなぜこれには署名をしなかったのでしょうね。なんだかごちゃごちゃと整理のついてない曇りの日です。

2010年5月20日木曜日

綿入れちゃんちゃんこ





 今、こういう仕事をする人は居なくなったわね。というよりはこれは、お母さんへの心だわ。そして、ボクちゃんへのカネさんの思いね。よほど、大事な息子さんを託して、その感謝の思いでしょう。自分の請けた仕事の中から少しずつを取りわけて、そして柄も合わせて作ってくれたのね。大事にお母さんが着なけりゃ駄目じゃない。というと、私に持たせようとしたのを、また大事に衣装箱に戻してあります。
 CPの息子を預けた、母親が一針ずつ仕立てて、綿を入れて作ってくれたものです。こういう一点ものは、粗末にはできないものです。この息子さんは、山形県での青い芝の中心で動いてくれていました。もう30年近く母は仕舞いこんであります。先日、季節の入れ替え手伝って、私に持っていけと言うのを、止めたのです。母に着て欲しいという、同じ母親としての思いだったのだろうなと、いつか受け継ぐかも知れないとも思いながらでした。

2010年5月6日木曜日

牧場バス



連休後半、山梨県北杜市高根に行きました。浅川巧について書かれた本を読みました。行程に浅川巧資料館に寄るという事を考えたのですが、行けませんでした。また、この辺りにも行かなければと思います。白磁の人上映運動は北杜市のホームページからも繋がっています。
 くらしの中からの友好を、ひとの平等という目でできたのだと思います。番外編での
韓国行き
で、浅川巧の植えたと言われている木をアップしてあります。根を下ろした結び付きを創ってきてくれた先人は居るのですね。
 さて、レンタル自転車も返して、移動はもっぱらバスの利用ですが、さすがに牧場の多い地域でした。すっかり溶け込んでいる牛たち。

2010年5月3日月曜日

あっという間



ダラス遊学中の娘が、連休初旬をかすめるように帰国。そしてまたダラスに戻りました。
お母さん興味あるでしょうと、日頃自分の買い物をするマーケットの広告を持ってきました。
ファーマーズマーケット、価格は他と比べると2・3倍します。
決して果物など美味しくない。と我が家の味を楽しんで戻って行きました。