2012年2月7日火曜日

もぐらたたき


 日曜日に山梨の家に荷物を運びに行って来て、庭にやっと咲いた水仙の茎が折れて、倒れていたのを、墨田の家に持ち帰ってコップにさしました。焦点が合っていない昨夜の写真。たまたま、私たちの庭とするところに前の人が残したのでしょう。球根が幾つかあったようです。
 水仙、茨城の閑居山には、山麓に流れるように増えていた花。その切った長い茎を束ねてこの季節、母はあちこちの知人のところに、春を届けに行っていました。生業を持てない寺という場ですが、それなりに父のお付き合いの仕方をしてきたのです。
 そして長女を妊娠していた春に越前海岸を歩いた頃。もう季節の終わりに近づいて日本海に向かって咲き群れていた花。その情景が二つ、都会の室内に漂う香りの中に浮かびます。素直に私は連れ合いにありがとうと伝えます。

 さて、どうして水仙は折れていたのでしょう。二週間近くの人の居ない家です。まだ以前の人の住まいのままで、茶器程度しか持ち込んでいない建物。そし手をつけようのない庭。夏草を土に梳きこんで、片づけた、庭木の周辺に幾つもの、盛り上がった粒のそろった土。これは何だろうと訊かれますが、モグラじゃないの?としか私には推測できません。スコップで叩いておきましょうか、私の邪念のようにあちこちにまた出てくるのかしら?
 草、埋めていいのでしょうか?土掘り返していいのでしょうか?当たり前の事を、悲しく考えたくない、これから新しい庭にしていくのです。

0 件のコメント: