2012年8月9日木曜日

神明

義父母もなんとか、一緒に泊まる手はずができて、8月7日は神明の花火大会。山梨県市川大門でした。隣町の庭の夏草むしりで腰痛気味の私達二人と、義父母での泊り。来夏は本格的老々住宅になるでしょうか。 庭の茗荷と新しいお付き合いのご近所から頂く夏野菜で夕食は済ませます。お腹の底に響く、花火の打ち上げの音は、天空を覆う大花火から遅れてきますが、車の中からとはいえ、大迫力。 
 義母は、懐かしいねぇ。ありがたいもんだねぇ。涙が出てきた。と言います。若いうちはさんざん見たけれど、花火を見れるなんてというのに、家の中に居るお年寄りが、楽しむ機会はなかったのかもしれません。それを当然としてきた私には考えていなかった言葉でした。両国は二か所で上げるんだよ。どっちだろう。というのには、少し返答ができません。解っていながら、現実と少しずれた言葉になるのは、思いでの中、想いの中、現実、が行き来するんでしょう。それもまた人のさがと考えれば辻褄は合っている感想だったのでしょう。茗荷の塩揉みで、すべてを忘れるとしますか。

 私は、天空の輝きとは対照に、人というものの闇を考えます。幾らマハラバだ、文庫番だと言ってもその傍らで、置き去りにしてしまうのかという、問い。自問。この解決は一年前の夏も、きっと生れ落ちて背負っているものだと覚悟しているのです。そして、連れ合いとの暮らし。
 闇。
 また、中に入った時と嘯く傲慢。自分の卑小さを言い換える詭弁。それでいて、甘く見た世間に通らないとなると、また弁を弄する兄を、周囲で心配する人々が居ても、その闇に光があるのか。
 同じ考えを持っているのです。どこかで超俗でありたいと、自分の存在をつくり芝居がかった事をする。自分には許されるのだからという振る舞い、相似な兄妹です。
 社会には対応できない心の在り方を、聖俗、差別・被差別、親子、男女、さまざまに積み重ねて半生。 認められない、その怒りで、すべてを論拠としていくところには、大きくは、戦争であったり、未来への人類的負荷であるけれど、年子二人の間に、言い換えれば母を写す文庫番との間に闇を濃くするのです。

 8月9日 長崎原爆忌 

0 件のコメント: