2012年8月12日日曜日

都会の実り

出穂です。今年も苗からではなく籾の直播き(それも手抜きも良いところ穂のまま)にベランダ田んぼに育てていた稲は、実りを見せてくれました。喜びです。福島の田んぼを昨日はたくさん見てきました。私のような手抜きではなく、丁寧に仕事をしている稲の揃った波がありました。ご多分に漏れず、耕作されていない田んぼもありましたが、営々とくらしの習いとしてきている作業がそこには見えました。茨城の実りを5日に見たとき以上に、切なさがその美しい稲を見ながら寄せてくるのです。ひとが続けてきた暮らし。営んできた人生。断ち切り、分断していかないためには、繋がっていくという確かな実感が必要なのです。
 味噌を一桶乗せた車は、延々としたお盆帰省の流れに入っていました。昨年は帰れなかった人たちは、それでも今年は帰って、お母ちゃんの顔をみてまた戻るんだよ。そうでした。
 その身動き取れない流れの中に嵌ってから、そのことを考えたのです。浅慮で申し訳ありません。味噌でのつながりは確かなものになっていきそうです。
 私の稲穂はこの数年はお正月飾りにしています。今年の実りは、年越しした後に、次の年のお飾りのために、ベランダから降ろした田んぼで育てる稲の種籾とします。
 朝の一瞬に、白く花開いたいのち。一粒ずつに実りの喜びをたたえています。
 食べるという事、いのちの作業です。

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