2012年8月6日月曜日

許すこと、忘れないこと

茨城の田んぼも稲穂が波打って、風を受けていました。この実りが正当な評価がされると良いけれど、そんな思いで見ます。会話にならない会話。理屈ではなく感情で物事を見ていくと同じ事実が、全然違って語られるものになるのだと、わかってはいる。解っているけれど、それでも話をしなければならないのでした。不毛であると知っているのです。
 私にとっては、ここの地が自分が生まれたところであること。山の中を故郷とすること。同じ親からうまれたこと。
 今回、話し合いをお膳立てした人がいるにしても、それ以上の事は当人の中にしかないのです。同じ会話として成り立たないのを承知で、夏の閑居山に行きます。どこかで、歪曲された事柄を、片方の考える事実として話していく無理。

 それは、一方におきながら、山の夏、その時間。自分の記憶となるのだとします。そして、許すことの難しさを考えた夜があり、8月6日の朝を迎えるのです。

 

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