虹が架かった下を通り抜けました。
新しい叙事詩が、見つかりました。
「明日へ帰る」という冊子がマハラバ文庫発刊となりました。
その意味を考えつつ、スベリヒユのお浸しを作ろうと摘んだのです。
その本の中に綴られていた思いを、俯瞰してみたのです。
3.11の東日本大震災の記録集です。
水産加工メーカーさんが、畜産養鶏の生産者が、福島の農産物が、
そして、パルシステムの友好、会員生協が、肉・野菜の子会社が
食べる消費者が居る、暮らしている組合員が居ると、あの大震災・原発事故の時に
互いに思い合うということは、
食べる側が居て、「買い支える」ということは、いかなる銀行の融資を受けるより
意味があったのです。
いえ、まだ資金繰りも立たないなかで、製造を断念しないで、立て直し、続けてきたのは
あの三月に産直便が、寸断された道路を走って、供給できたのは、
逆に、組合員の出資している生協の子会社の商品を、被災地への支援物資とできたのは
現金として動かす金融であるのとは、別の新しい経済。協同の経済が、瞬時にはじまっていたのです。
競争の原理の復興・再生ではないのです。
もはや、協同のあらたな叙事詩は綴られて謳われ始めていたのです。
そして、さらにそこに見える、新しい歩みがはじめられたのです。
虹の根っこを探しに、こころ踊る歩みがはじめられました。
スベリヒユを摘んで解った事かもしれません。
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