2014年4月28日月曜日

暁烏

 まだ、明けないうちに無明の中に光を感じるのでしょうか、烏が啼きはじめます。私も起きてしまいます。猪がまた春の挨拶に来ている里山畑に行きます。雉も番いで起きてます。
 自分の至らなさが、他人を迷わせている事にも申し訳ないと思ったり、まるっきり上達しない運転にもがっかりして、そんな先週が過ぎて、新しい光。探します。
 畑の中では、大地と大空の間に居る実感があります。借りているところであるので、長期の計画にならない事。それもあり連れ合いは庭の余力以上は足してくれないようですが、一緒に考えてくれるだけで私の力になります。
 改めて、家とはなになのかを考えます。そして個とは組織とは何なのかも先週の課題でした。
そう、そのあいだ。間にあるものを問うのが答えの道でしょう。だから、見えるようで見えない。社会保障制度と家。整合しているのでしょうか。なぜ今女性の社会的登用をことさら政治の中で言うのでしょう。
 社会も、保障も、制度も外事(そとごと)に置いて主体はあるのだろうかと兄の言動を考え、そして家という括りが、冠婚葬祭を保っているけれども、自立した生き方をしたいと思う事と、その家政を司ることは矛盾しないのかと文庫番の在り方を考え。国家との対峙の力を持つべき女性の家の発言力を、そぎながら金銭経済で縛るなら、愚政だとしたいのです。経済力がなければ主体として見られないのは、本来の姿ではないと、何物も獲れそうもない畑を耕し、金勘定も約定もない生き方を烏に学ぶのです。
 

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