2014年5月6日火曜日

だるまさんがころんだをした事が無く

 その事をすぐわかってくれる人が居て、落ち着きます。文庫番の育った中では、そのような遊びが無かったという事をです。手も足も動かないものと一緒に暮らしていてはできねぇよな。その一言が今、その人がしている介護の状況も語っています。
そして、育ったところは、麓から昇っていく境内は斜面に開かれてそんなに平らなところを走り回るのではなく、同じ年頃の遊び友達は、下の集落に数人いても、育ちながら遊ぶ相手とは、年子の兄が一人だけならば、自然とできる事が限られて、むしろ読むという楽しみ、考えるという時間を楽しんで育ったのでした。
 言われずとも、しなかった、何か抗う感じがしていた幼児遊びが、だるまさんがころんだ、や、通りゃんせ。そして、歌いたくなかったのが、山寺の和尚さんや、夕焼け小焼けの歌などの童謡でした。鐘もない貧乏寺の猫ばかりの庫裏。そこに障害を持つ人たちが集まって、梁山泊と称されていた、そんな大人の世界に混じっていた方が面白く、小学校の行き帰りにも、あまり友達ができずにいたのでしょう。
 この年になって、勢い小さい人たちの相手を楽しみましたが、やり方教えてあげると、はじめの一歩から、なのでした。
 いろいろな、当たり前の遊びの中での駆け引きができないなと、今更ながらの智慧と体力目いっぱいの子どもの遊びをへとへとになりながら考えます。
 だけど、仕方ない。駆け引きを覚えていなかったら、生(き)のままで、在り方を伝えていきましょう。傲慢にも思える在り方は知らないという事なのだと、鏡を見て思います。
 そして、手も足も動かない、嚥下も楽ではない障害者とともに食べるという事、食べさせる?食というものを、消費者、生産者の間の事だけで語っていては、その間はなになのかが見えません。穀潰しは何なのかを、伝えられないのです。これからの協同とは、競争社会が当たり前ならば、それはそれとして、そこに差別を生まない、争いを持ち込まない、そのためにできることを見つけなければならないのでしょう。
 

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