2014年5月28日水曜日

積雲の元


 春に割った薪を山宮から自宅の薪置き場に運んでいます。
 今朝も早朝畑に出てみれば、蕪が大きくなって収穫時。びっくり、残っていた種を全部蒔いた結果は、葉物が重なる毎日になりました。一昨日は雨模様の朝で、昨日は東新宿へ出なければならなかったので、畑に行かないうちに良く育っていました。午前中にもう一度車で行って葉物を抜いてきました。やったことがないとは考えが及ばないという事で、一番最初に小松菜を採った時は根付泥付きで運んで葉っぱ全体が泥だらけになったりしました。
 結構、採るところまでになりました。薪割りの時に冷やかしのおじいちゃんから、あの畑じゃ何もできないぞ。。と言われたので、半分諦めで蒔いたのですけど、毎朝のジュースにもなります。
 猪が大豆を食べてしまった話に、おじいちゃんは、猪も出るだろう、そっちの方にアトザン山というのがあって、昔はお産の後を運んで行って埋めたものだと。。それは大変貴重なお話を聞く事ができました。そうするとキツネや鳥が清浄(きれい)にしていって。と言うのです。その場に居た人からは、アトザンだけじゃなかったかもしれないな。とも。皆生きていくのがやっとだったから。
 その春の最後に神立に御粥を持って見舞いに行きました。穀潰し。御粥って穀物を柔らかく煮て、もっと丁寧には擂ったり裏ごしたりしたら、流動食だけになったら、ある意味本当に穀物をつぶしてになるなと、新しいことば合わせに気付いたのでした。
 介護とは福祉とはなんだろうと思うのです。食べるという事から考えるという事。この三年で三人の親たちが亡くなって、少しばかりの経験でも、以前考えていたのとは気持ちが違ってきました。
目の前に居る人に対して、どうしてもしたくなる行動。日曜日には横浜の横田弘氏の一周忌に行って、見舞った人もまた会う事ができました。マハラバ村を語れる人が少なくなっていく中。もう少し時間が欲しい、そう言いながら、採っても食べきれない作物。まだまだ、至らない文庫番です。

 

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