2013年1月15日火曜日

ボーダーレス

こんな言い方、義母が同窓会に行っていた頃教えてくれたことば。女学校時代のお友達の事。大人になっての交流を、ご婦人方でして、あの人は普段は五十三継のモンペで雑巾がけや料理をしている東海道だけれど、会に出てくるときは微塵も見せないお洒落よね。そんな話でした。そういう暮らしぶりは清貧とはまた違うのでしょう、家を切り回す「良妻賢母」を目的としたのか、女学校の卒業生の評価ではごく普通の切り盛り上手の暮らし方を言っていたのです。
 女正月、小正月。成人式。どんな晴れ着もハレとケがあってのものでしたけれど、今の衣料品はインクプリントの和服もあれば、普段着にもファーが付いていたり。どこからが、晴れ着なのか普段着なのか、区別が無いということは、文化から遠いように感じられるのです。家内ではないですが、内と外。ボーダーがはっきりしていたものです。
 それは、くらしの様々な面にあった区切りが、人を思慮に導いていたのが、軽んぜられるようになったのかもしれません。いのちの重み。
 心肺停止になっても、意識が戻らなくても、人工呼吸と、経管栄養で生きていける義父。行き来のボーダーがますます曖昧になってきました。排尿が少なくなってきて、今後できる医療についての説明を聞くのです。すでに義母は、今まで生きてくることができたのだから、このまま夢見る如く高いところに行って私たちを見ていて。と面会のたび義父のベッドの横にいくと語ってくるのです。しかし、やはり割り切れるものでもない、呼吸の続く姿。
 義母と長男である連れ合いと、私。医師の説明を聞いて、回復の見込みと治療のリスクを考え、急変の場合、不必要な、これ以上の施術は要らないと義母と連れ合いは同意。義弟には病院に説明を聞きに向かう前に相談した上でした。私には判断できない境界でもありました。そのような昨日、雪の降りはじめ。義父のいのちは、降り注ぐ何かがあるのでしょうか。私達にも堪えろと天からのことばが降ってくるようでした。
 今日もまた一日を継ぎながらいます。

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