2011年3月23日水曜日

福分け


 今、こころを伝えるという事だけでも、とても難しくなっているようです。日増しに流言飛語の類と、真実に裏打ちされたことばとの区別がつかなくなっている状況なのだと感じます。
 そういうところに本物が届きました。お裾分けだと言う事です。種子島の黒糖。それも特定できる畑、技、人々からのものです。これはきっと、もっと大勢の人に、この喜びを分けて欲しいということだと、考えます。そう、確かなものを収穫し食べられるものを作りだせる幸福。もとは、一粒の種、一株の芽。
 苦しい思いでいる人々に届けたいです。そして、この黒糖に添えられていた冊子にある漂流船の島の人々を思い出すのです。入り人の島。古へより、海流に乗って人が行き来し、赤米の保存されている島は、いつの時代でもおおらかに人々を災難から救助し受け入れているのでした。
 数日、被災地、避難所ではこんなこともあるという、悲しい事態が知らされます。虚々実々、人の感情が、極限に在る中で、情報は作られるのだと思うのです。その大部分が、今までより良い社会を創りたいと願った事を数段階引き戻すような、心無いと言って良いかどうか、誰もが、人間の本性は自分が生き延びる事だよね。そのためには、あきらかに差異を見つけ出して、排除していく事だよね。と考え始めているようなことです。ですが、だからこそ、それは、事実ではない伝聞なのだと考えたいと思うのです。
 今試されている本物力は、人がひとを信頼できる、自分が(家族が)大事だと思うのと、せめて同じように他のいのちも大切なものだと考えられる力だと言う事。食べるものが、世界の大消費地東京に来るのには、どれほどの手が必要とされているのでしょう。そして、その国内産地には、多くの研修生受け入れがあったのか、被災者の中に居る外国籍の人々の多さを考えます。
 情報は作られるのです。一国だけが、窮状を救いに来ている訳ではありません。今回、最初から海外メディアで知らされている内容も知ると、義父も憤っている同じニュースしか流さないテレビの偏向を感じます。
 少しの福分けの中に、実にこころの豊かな本物があると味わえれば、水も葉物野菜も、大切な一粒のいのちです。

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