2011年3月17日木曜日

日常のなかに

 小さな喜び、悲しみ、怒り、安らぎがあって、それだけではないいろいろな感情を綴って、「きなり歳時記」はあったのです。それはもともと一人ひとりは違っていていいのだと、そこにしか協同の保障はないのだからと言える事だったのです。
 くらしを綴る。

 あの時、何が起こったのか。天災であったと。しかし人災にも思える。
すべてが変わってしまって、一人の喜び、悲しみ、怒り、安らぎをことばにしていいのだろうかと、また縮こまってしまうのです。ほっと取り戻す微笑みも、少しの諧謔も、暮らしの中で見出して伝えることすら、痛ましくなってしまうのです。
 義父母と母の高齢化、そして自分たちのリタイア後のくらしに起こるいずれはという日々。それすらも、書いていくことが躊躇われていた一年。それなりに、食べるという事からまた始められるかとして、新しい場も広げていくつもりでした。
 書きながら、自分で傷を持っていく。他を挿しているのではと、棘を逆立てているハリネズミのようにこれ以上近づきたくない、近寄りたくないという。それこそが、今書かなければならない事なのだから。
 一人ひとりは違うのだという、それすらも、一瞬に、皆が体験した共有の大きさに飲み込まれそうです。
 どこを観ても同じことについての報道ばかり。それの影で小さな日常。一人のことばが、消されてはいけないのだから。それこそが、親世代が経てきた恐ろしい時代だったのだと教えられ、日常の中にある、この私は、ことばを探していかなければならないと思うのです。
 それでも、あの時、何が起こったのか。天災であったと。しかし人災かとも書くべきだし、あの時ではない、今を、そしてこれからを書く文庫番でなければならないと思うのです。
 茨城の母は、地域の中に生きる決意で、まだあなたの世話にはならないと、帰されました。そして、“風が吹くとき”義母は転んで骨折しました。義母の入院を母には伝えられない。母が風邪気味の様子を入院中の義母には伝えられない。そんな日常。

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