2011年3月18日金曜日

新しい秩序の世紀に

TPPはどうしたのか、政権を軟弱と言っていたのはどうしたのか、そう言う事のレベルではなかったのでしょう。自然の力は。そして制御しきれないものを持っていた人間。
 遥か神世紀、オリンポスの炉から隠し持ってきた火でしょうか。兎が尻尾に着けて持ってきた火でしょうか。
 大気も水も大地もつい一週間前とは違っているのだけれど、今日の私のベランダには春のつぼみが膨らんでいます。新芽の柔らかさもいとけない。大事に育てていきたいのです。
 もしかしたら、弱体したかじ取りよりも、組織だって凛々しく立ち向かう姿に賞賛は集まるのでしょう。本当に感謝してもしすぎる事はないのです。自分を空しゅうしても、民を助ける職務なのか、人道なのか。一歩間違えると前世紀の闇と争いの引き金にも似てしまいます。
 それはやはり、人道なのでしょう。ヒューマンです。そこには計りようのない、愛と協同があるのではないかと思うのです。それ恕かと。
 買占めていたり、同じ事かもしれません、他人のものを掠めたり。そうではない在り方をみています。自己の分を与えられるのは、今までの自分があったことへの感謝として、お返しできるように、多くの人が思っているのです。金銭で云えば義援金となります。無償の行為での支援が続々と集められています。行為とすれば自己犠牲や助け合いになるかもしれません。そして、もっと育てていきたい、今多くの人が、他の人の存在への共感を持っていると言う事。今、情報手段の発達は、良し悪しあっても、多くのメッセージを運んでいます。そして個人のものだけとしない、ともに悲しんでいる思い。なくなった生命へ向けての悼み。これからへの願い。
 国を超えて、その気持ちが伝わってきています。本日金融面での協調介入があったと言う事を、金の亡者たちの、利己的な手段とは思わないでいたいのです。むしろ、もうどこかに富が偏在したり、運のよしあしだけで人生が定められていくのではない平等を、新しい世界の秩序を、私たちは模索しはじめているのです。小さな日常の喜び、悲しみ、怒り、安らぎの延長に、育てていきたい芽生えです。
 

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