茨城の田んぼも稲穂が波打って、風を受けていました。この実りが正当な評価がされると良いけれど、そんな思いで見ます。会話にならない会話。理屈ではなく感情で物事を見ていくと同じ事実が、全然違って語られるものになるのだと、わかってはいる。解っているけれど、それでも話をしなければならないのでした。不毛であると知っているのです。
私にとっては、ここの地が自分が生まれたところであること。山の中を故郷とすること。同じ親からうまれたこと。
今回、話し合いをお膳立てした人がいるにしても、それ以上の事は当人の中にしかないのです。同じ会話として成り立たないのを承知で、夏の閑居山に行きます。どこかで、歪曲された事柄を、片方の考える事実として話していく無理。
それは、一方におきながら、山の夏、その時間。自分の記憶となるのだとします。そして、許すことの難しさを考えた夜があり、8月6日の朝を迎えるのです。
2012年8月6日月曜日
2012年8月4日土曜日
今度は・・・
金曜日夕方に出かけられるのは、そうそうはないけれど、繰り合わせて、断続的に行ける時だけ、それも一言だけを繰り返して、時間になったらさっさと引き上げるので、誰とも会話もほとんどせず、その他のいわゆる集会にも個人としての、いたって自主的参加であるので、誰にもありがとうございます。なんて、言われる必要もない。敢えてあるとしたら、母の遺志でもあるのだから、自分に対しての責任。30年近く母が続けてきたことの引き継ぎ。それも、託されたわけではないから。
そして、法螺貝を吹く。たまたま、東京に住んでいるから官邸前だけど、石垣の白保の海からの法螺貝は、叫んでいる一言以上に、さまざまな連帯、本当は述べたいさまざまな考え。だけれど、必要ない、ジェリコの壁を打ち砕いたように、一人ひとりが、主体としての声を出し続けることが、打ち砕く。分断、抑圧、威圧。そういうのもありありと見せつけられるけど、愚かです。
また、あの安保の時のように、収まってしまうのかしら?いや今度は違う。
そして、法螺貝を吹く。たまたま、東京に住んでいるから官邸前だけど、石垣の白保の海からの法螺貝は、叫んでいる一言以上に、さまざまな連帯、本当は述べたいさまざまな考え。だけれど、必要ない、ジェリコの壁を打ち砕いたように、一人ひとりが、主体としての声を出し続けることが、打ち砕く。分断、抑圧、威圧。そういうのもありありと見せつけられるけど、愚かです。
また、あの安保の時のように、収まってしまうのかしら?いや今度は違う。
2012年8月2日木曜日
やっと、書いたけど
この数日書いているもの、出しているお便り。気合が抜けたように感じられるのです。統一性のない表現。言葉足らずに、誤解を招きそうなもの。書きたいことを充分に表現していない“恥”。
決してオリンピックなどは観ていません。良いイメージを体育会系のものに持っていないし、さらに浮かれ大騒ぎする心理には、乗れない。国の大小があるにも関わらず国別で競うし、あきらかにスポーツがお金のかかるものになっているし、それで、まるでゲームの勝敗が相手との人間性の優劣の差のようになっていく。嫌なものじゃありませんか。
だから、テレビの前で座っている義父母の前に関係無しに流れている時に、その騒ぎの一端は少し解るけれど、それだけの事です。
家事と、出かける事の均衡が取れていないのでしょうか。それとも、家人の動きに合わせての、文庫番の動きに変えているからなのでしょうか。
そうではない、集中してことばを練っていないのです。本当に集中して書いている時は、その周囲の小さな文にも気持ちが入るのです。これは、逆に次の高まりへの散漫さなのだと許してもらえれば、気を取り直して、しなければならないと、自分で思っている事を、自分自身の責任のためにやっていきましょう。そう考えると、あれこれの小さなミスをしていたことに却って、そんな事で落ち込んだら前に行けないと、考えられる大事な躓きだったと気付いたりできるのでした。
決してオリンピックなどは観ていません。良いイメージを体育会系のものに持っていないし、さらに浮かれ大騒ぎする心理には、乗れない。国の大小があるにも関わらず国別で競うし、あきらかにスポーツがお金のかかるものになっているし、それで、まるでゲームの勝敗が相手との人間性の優劣の差のようになっていく。嫌なものじゃありませんか。
だから、テレビの前で座っている義父母の前に関係無しに流れている時に、その騒ぎの一端は少し解るけれど、それだけの事です。
家事と、出かける事の均衡が取れていないのでしょうか。それとも、家人の動きに合わせての、文庫番の動きに変えているからなのでしょうか。
そうではない、集中してことばを練っていないのです。本当に集中して書いている時は、その周囲の小さな文にも気持ちが入るのです。これは、逆に次の高まりへの散漫さなのだと許してもらえれば、気を取り直して、しなければならないと、自分で思っている事を、自分自身の責任のためにやっていきましょう。そう考えると、あれこれの小さなミスをしていたことに却って、そんな事で落ち込んだら前に行けないと、考えられる大事な躓きだったと気付いたりできるのでした。
2012年7月29日日曜日
来し方、そしてこれから
隅田川の花火大会。東京スカイツリーとの競演。一夜の騒ぎは終わりました。今年はテレビで観れるからという義母と夏の野菜鍋を食べながら、テレビ画像より一拍遅れて、外の空気に伝わる振動を、聞きながら過ごします。何回も吾妻橋に向かう人の波に入って、連れ合いと待ち合わせして観てきた都会の花火。結局行きつけなくてビルのガラスの壁に映るものばかりを見ていた時もありました。取手に暮らしていた時にも利根川の河川敷で打ち上げられた花火もありましたっけ。
それぞれに出かけている子供たち。これからもいろいろな出会いがあって、たくさんの花火を見上げるのでしょう。この夏もう一回くらいどこかで観る機会はあるかもしれません。
今年の隅田川花火大会は終わりました。
それぞれに出かけている子供たち。これからもいろいろな出会いがあって、たくさんの花火を見上げるのでしょう。この夏もう一回くらいどこかで観る機会はあるかもしれません。
今年の隅田川花火大会は終わりました。
2012年7月24日火曜日
ゆっくり、進めば
そうは思っているのですけれど、さすがに一か月以上前の情報を整理しているのは、このインターネット時代にどうなのかとも考えるのですが、マハラバ風土記と日月記をやっと書きました。
そういう躊躇いは文を練っていても出てしまいます。キレの良くない勢いのない文章になってしまうのですが、まずはやっと連れ合いの居る状態で私のペースを作れるようになってきたのと、新しいパソコンにバージョンを変えたソフトを入れてとしている部分と手打ちのも新しい技能でいけたらと欲張っているので、なおさら遅々としています。
文庫番の日常は、ほとんどがご飯つくりです。朝が終わるとすぐお昼。午後にある諸々もご飯の用意を整えるのが前提。その合間のお仕事。言うまでもなく稼ぎにはならないし、金銭には捉われない価値観を持って仕事を!と居丈高に叫んでいるのではなく、普通の事業活動はできないなぁ。とますます状況を見るのですが、少しずつ、大丈夫。なんとかなる・・。?。
そういう躊躇いは文を練っていても出てしまいます。キレの良くない勢いのない文章になってしまうのですが、まずはやっと連れ合いの居る状態で私のペースを作れるようになってきたのと、新しいパソコンにバージョンを変えたソフトを入れてとしている部分と手打ちのも新しい技能でいけたらと欲張っているので、なおさら遅々としています。
文庫番の日常は、ほとんどがご飯つくりです。朝が終わるとすぐお昼。午後にある諸々もご飯の用意を整えるのが前提。その合間のお仕事。言うまでもなく稼ぎにはならないし、金銭には捉われない価値観を持って仕事を!と居丈高に叫んでいるのではなく、普通の事業活動はできないなぁ。とますます状況を見るのですが、少しずつ、大丈夫。なんとかなる・・。?。
2012年7月8日日曜日
新しきバラード
虹が架かった下を通り抜けました。
新しい叙事詩が、見つかりました。
「明日へ帰る」という冊子がマハラバ文庫発刊となりました。
その意味を考えつつ、スベリヒユのお浸しを作ろうと摘んだのです。
その本の中に綴られていた思いを、俯瞰してみたのです。
3.11の東日本大震災の記録集です。
水産加工メーカーさんが、畜産養鶏の生産者が、福島の農産物が、
そして、パルシステムの友好、会員生協が、肉・野菜の子会社が
食べる消費者が居る、暮らしている組合員が居ると、あの大震災・原発事故の時に
互いに思い合うということは、
食べる側が居て、「買い支える」ということは、いかなる銀行の融資を受けるより
意味があったのです。
いえ、まだ資金繰りも立たないなかで、製造を断念しないで、立て直し、続けてきたのは
あの三月に産直便が、寸断された道路を走って、供給できたのは、
逆に、組合員の出資している生協の子会社の商品を、被災地への支援物資とできたのは
現金として動かす金融であるのとは、別の新しい経済。協同の経済が、瞬時にはじまっていたのです。
競争の原理の復興・再生ではないのです。
もはや、協同のあらたな叙事詩は綴られて謳われ始めていたのです。
そして、さらにそこに見える、新しい歩みがはじめられたのです。
虹の根っこを探しに、こころ踊る歩みがはじめられました。
スベリヒユを摘んで解った事かもしれません。
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