2021年8月8日日曜日

立秋過ぎて



 紫葉藤袴、藤袴と二種類が庭にありますが、これから細かい美しい白の花が咲き始めます。名前の由来はまだ調べていません。思いのほかに種をこぼしてあちこちに増えました。面白いです。
 どうしてゴーグルの写真があるかと言えば、今年の田んぼの稲の種類は今頃の時期に、かがんで草を取ろうとすると稲の葉が目を突く高さだったのです。いろいろと書類を作らなければならない文庫番さんは、今は活きの悪い魚のような赤い目になっています。対策を考えなければと、取り敢えず、下を向いてもメガネの落ちない鼻呼吸で曇らない水泳用のゴーグルをします。取っておいて良かった。東墨田の清掃工場の余熱利用の温水プールを楽しんだ時のものです。
 田んぼで草取りをしていると、道行く人も声をかけてくれますが、それは田んぼの事稲の事、里山の獣害の事。
 テレビや、新聞をなるべく避けて、インターネットも本気で知識とは思えない我が家では、田んぼの道行く人の話題が何よりの知識になります。
 それにしても、世間で話されている事は少しは、目にも入りますし(イテっ)耳にも止まります。この重苦しい、何物も喜びにならない世間はどうしたことでしょう。
 私には、普遍的な人間の善と言うものが感じられない世間の話題に思えるのです。いじめや、差別を肯定する話でのし上がったものが居たら、引きずりおろすのも侘しい思いが残り、どこがどこに勝って、メダルだ。誰か文字も文章も理解せずに挨拶している。困窮しているものは都会の路上を彷徨うのに、利権を貪る者は飢えることも無い。一方で、勝利を歓喜することがもてはやされている、その一方で勝ち組への苛立ちを生んでいる。
 どうして、子供の時には人間には普遍的な善があると考えることができたのでしょう。悪の様は世の中に、あったとしても、それでも真っすぐな生き方を学ぶと思えたのは、時代が違うという事だけではないのです。
 

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