2015年12月25日金曜日

世界中で


 何の諍いも争いもない、そういう日を私は願っています。

頂いたカードを飾り


 あなたを思い、この一年を過ごせたのです
 感謝しながら、新しい日々を見ることができます
 賢者たちも、野で羊を飼う人も

 宮居に泊まるのではなく
 大勢の旅人の路上にも近く
 馬舟の中に、希望の光がおかれます

 純白の産着の柔らかさも、父母の慈しみも
 あなたこそが、喜びの源
 きっと歩む道は、旅人であり
 冠るものには痛みがあるでしょう

 でも、私はあなたを思う
 そして、信頼によって、世界が満ちていく


                                きなり歳時記2007-2008 再掲
                                     マハラバ文庫 増田・大仏・レア

2015年12月22日火曜日

冬至2015年


 今年の冬至。入日の時間は少しだけ伸びて来て、一陽来復。
そんなに冷え込んだ日ではなかったので、大掃除の前準備とも言えるさまざまをしました。その実は、年末にしておこうと思っていた在庫確認。
 それなりに、減っています!と大きく言いたいところですが、ぼちぼち以下の様子。新刊は一ヶ月半を過ぎ、やっと落ち着いた感じになっていますが、文庫番が私的都合で営業の時間をほとんど取れてないので、読んだ方が、またお奨め下さらない限りは売れないと言うさま。朝市の束子箒ははけて行ってるのに。
 一年。また陽が伸びて、すべてのいのちが時を得て。その中に強弱があるのでしょうか。
暖かかった日中に、やっと胡麻を莢から落としました。これから篩ってゴミを風に飛ばします。
美味しく食べると言うのは、選別をしていくことなのでしょうか。どのようなものにもそれなりの役割があるはずだと、そっと置いておくことができればいいのにと、でも食いしん坊だから、選り分け異物を取り除きます。異物と言っても、莢や葉っぱなのだから胡麻は胡麻。
 共同コロニーとは、自発的共同体とはどういうものを言っていたのでしょう。これからのこの国でまた現れるのでしょうか。優劣ではなく、それぞれの個性だから、お互いに納得できるといいのに。
難しいことなのでしょう。男女を問わず自分にない能力を持ったものとは、そこに比較して自分を観てしまうのが軋轢のもとなだと、知っているのに、感情というものは克服できにくい。そういう個々が集まって、生活をともにしていく難しさ。市場主義だけがこの世の競争原理ではない、人の不条理。愚かさを笑えない。
 新しい、先の見えるというのは何なのか。味噌を小分けしながら一番思っていた事でもあるのです。若い者にも、老いた者にも、すんなりと互いを認めることができればと。
 これからの終の住家を考えるにしても、文化を伝えるにしても。     文章未了


2015年12月16日水曜日

葉書にて


 母の本を出して、一ヶ月余り。慌ただしい中にいろいろなことばを頂いています。
どれにも、文庫番の気付かなかった内容を感じ、それぞれに受け止めてもらえたことを感謝するばかりなのです。その中に、札幌の病院から名取さんからの葉書もありました。なんと有難いこと。
 ご賛同をお願いした方々は母との交流があった人達だったのですが、その中でも、大仏照子の生涯とともに居た名取さんから、もう一度、書き足すべきエピソードを、綴って送ってもらえたので、父を語る際には、抜かしてはならないものだと、どこか、浮遊していた刷り上がり後の自分に叱咤をいただきました。

2015年11月11日水曜日

新刊のご案内!


 自分の親のことなど他人さまには読み難いものを。
書きながらもそう思っていたものだったのですが、文庫番は一冊の本として出しました。
どうしてなのかは、書かれています。冊数も少なく、力ない小社の販売ですがご興味をいただければ幸いです。
「無縁の地平にー大仏照子の生涯ー」2000円プラス税(2160円)マハラバ文庫 10月20日発
刊

 リンクページにお申込みお申込みなど

関連ページその間

2015年10月29日木曜日

有難くて


 文庫番が、母の記録を書いているという知らせに、出版の折には送料もかかるだろうから、使って欲しいと一冊のファイルが贈られてきて、お互いの供養になればと有難く思うのです。
 あの、掘りごたつに温まりながら不自由な指先で一枚ずつの切手を整理していた姿。言葉が不自由であったけれども、鋭い感性と知性があって、そのもどかしさの中に、コレクションを続けていて、あれから40年は経つのでしょう。彼も亡くなり、そのご遺族さんからのお申し出。
 もったいなくて、これらを使ってしまっていいのだろうかと思うけれど、母の記録というのは実は、一人の生き方ではなく、繋がっている大勢の人達の生きてきた証。
 今回の本の中には、母の手紙や文章も多く入れてみました。そして父の手紙も。
あの頃を。文庫番も知らない月日を、母を、私たちを支えてくれていた大勢の人達。教えると言うのは実は教えられているのだと、父は言っていたのです。彼達の人生も断片として見えてくる本になっていれば、このお志しに報いたことになるのでしょう。
 

2015年10月23日金曜日

色校正が来ました


間もなく

 4月に一旦脱稿した文章なのですが、やっと本校了。出来上がりまでに時間がかかっています。
いろいろな問合せを重ねて梅雨に入り、返事を待って、やっと動き出し遅れに遅れたものですが、その後の校正で、出るわ出るわ文庫番の誤字脱字。
 再校、三校と重ねましたが、夢にも出ます。母の面影ではなく印字の列。その中に思い当たる誤字が浮かび上がってくる夢だなんて、試験前に一夜漬けの教科書の文字列の夢を見た時みたいでした。それでもあの頃は体力も気力もありました。
東京などと山梨との行き来の日にちの中に、赤ペンを入れていきましたが、まだまだ不安。
でも、本づくりは面白い仕事だと進めながら今回も思います。
 読みやすいい字体に趣のある色を選んでもらっています。
 長春色というのも初めて知りました。刷り上がりが楽しみです。
株式会社とは名ばかりの、家内労働で(社長兼務)、発送していく作業が間もなく始まるのでしょう。この数日の風邪気味も追いやって、体調整えていかないと。
 

2015年10月7日水曜日

感謝に満ちる秋


 この楓も種を付けていたのですね。いづれ飛んで行くのでしょう。明々後日の資料を作成しながら、穏やかに床に就きました。目覚めの気持ちの良い朝です。
 明けのカラスが鳴き交わし、村のお寺の6時点鐘が聞こえてきました。
そうなのです。いつも自分では大変だ、荷が重い、もうできない。そう思うような時にいつも支えてくれた人が居た。忘れてはいけないことなのだと思うのです。今ある事は過去を積み重ねて、それが資料作成の中に現れてきました。その時々は、精一杯に取り組んできたことが、不充分かと、未熟な考えだと思いながらも進んできていたことがなければ、ふり返る事もできないのです。
 畑で驚くほどの収穫物に、自分たちの足りない労働力や技術の下手さも感じるのですけれど、始めることが必ず終わりも見えてくる。ただひたすらに同じ単純作業を繰り返して、半日が過ぎたりするのですけれど、そこに喜びを見いだせるのです。
 十年を無駄にすることのない講演内容にしたいと、仕上げます。