2019年7月26日金曜日

選り分けるという事 7月26日



 選り分けて、ほんの指の先で爪で拾うような白い石も、置くようにしていくとおのずから、色の違う石を外側のエリアに出すようになって、およそ8カ月。白い部分の層は少しばかり厚みが出て、まだらであったところがほぼなくなってきました。
 怖ろしい事だと、思いながらあまり途中でやめる事もせずに日々石を拾います。同じ時間をもっと有意義な事に回していれば、他の人に迷惑もかけなかったろうに、傍目にはいわゆる精神的に他と交わりにくい人の様相を呈していたのでしょう。
 しかしながら、もっとおぞましい事は、選別しないと白い石ではない庭の小粒の砂とも石ともいえないものを、拾うのです。自然石には様々な色合いがあります。大きく言えば同じ白の中に赤味を帯びたものと、碧石のようなものと、一番多い灰色に近いものが、混ざっています。玉石混淆というほど優れたものはない石ばかりの中に、それぞれの個性があるにも関わらず、自分の主観で、これは赤いからダメ、この緑っぽいのも違う、グレーは一番たちが悪いなどやってはいないかと。むしろ、それらの微妙な色交じりの小粒に言い聞かせるように、白だ白だおまえはシロなんだ。だからこっちに置くのだからと、同様な色合いのものを寄せていく行為です。
 逆に灰色というか黒に近い小粒も、黒だ黒だおまえはクロなんだと外に出して、車の轍の中に埋め込んでしまっているその自分の選別に、どこかあまりにも人工的な庭づくりになってしまっている、それなのに、朝起きて時間がある時の習慣化しているのを、自分に許しているのが、いやらしい。
 すべてのものを受け入れて、そういう父母の結婚記念日であった7月26日。

2019年7月25日木曜日

ご案内

もたもたしているうちに、明日は7月26日。
もうそろそろ、こちらも梅雨明けしますが、ご案内をお送りしていない方へも見ていただければとアップします。
 8月24日、25日にあります夏期学習会のご案内です。

2019年7月6日土曜日

35年経って



 あの7月6日は、私は次女を妊娠中で、朝の母からの電話で連れ合いも会社を休んで、土浦にあった国立病院に行ったけれど、すでに父はたった一日の入院で死んでいたのです。
 母を病室から出して、自分で、身体に繋がっていたチューブのすべてを外して。
 さて、母が遺したノートの中にあった念佛義抄文 大仏晃阿弥陀とあるあとがきは念仏のし方。小さい冊子記名からは本当に父の若かったころの文章だと思えるものです。写しを作って兄にも送りましたが、兄に送る郵便物は受け取っているのかどうか、私には返事は来ません。先日は郵便屋もご苦労な事と閑居山を知っている人にも言われました。それもまたしょうがないばかり。
 父親が、追いつけない存在である時にその息子は苦しい人生を歩むものです。つい最近の事例は私には、親を思っても、その息子を思っても、辛くオーバーラップされます。
 それにしても、大仏晃の念仏とは、かくまでありなん。
 8月の末にこの内容を読み合わせられるようにしたいと考えています。

2019年7月1日月曜日

かすみがうらにもお城がありました!





驚きです!エレベーターはもちろん見当たりませんでしたが、私たちはもともと、当てにしていないわけです。
 田んぼの草取りの合間に茨城の歩崎で開かれている「小林恒岳と霞ヶ浦」シンポジウムに行ってきました。それは、一緒に時代を過ごしてきたのだから、敢えて講演を聞かずともというわけでは無かったです。多角的に霞ヶ浦そのものを語ってもらい、その中に画伯の人生と絵画に表されたものを、参加者に説明してもらうと、逆に私などは自分自身の人生にどのように霞ヶ浦があり、小林・硲さんたちとの家族同士の交流があったのかが読み込めたのでした。
 神立の駅からは、天海さんに、里内さんの家に連れて行ってもらい、文字盤トーキングを持参し、運転は阿部さん、介助は野間さんで龍史兄ちゃんも参加。4年ぶりだったけれど、みなそれぞれに元気で会うことができました。滋賀県の琵琶湖畔生まれの里内さんがどう霞ヶ浦の歴史を聴いたのか、また後日聞いてみたいですが、「マハラバ村建設から骨格提言まで」という茨城青い芝の資料をもらいました。
 歴史博物館内では履物を替えてとなるのですが、車いすって履物じゃないし、など考えていたら、受付のところでスロープが用意されていました。雨で濡れていた車いすのタイヤもタオルで拭いてもらって介助者はスリッパになって(押しにくくないか?)フロアーに入りました。どこかの国の首相に教えておかないと。
 今回、お便りが着て、行く気になったのは、歩崎での展示・企画講演だったということで、折本さんと父が出会い、そこから「青い芝の会」が展開していったところだったということが大きな要因でした。小さいころには周辺の者として、混ざっていた私だけれど、今、記録をしていくのに、その空気に触れ、土地に立つという生身での振り返りをしなければと思っていたところに、願ってもいないお誘いだったのです。小林家が高浜にあった頃、同人誌「辺」うちの二階にある母の資料にも入っていたけれど、きちんと読み返す時間がとれていなかったものでした。展示物になっていたので、ページをめくることはできなかったのですが、閑居山と高浜と、行き来した方々のお名前が、企画の随所にあり、自分も励まされ、夏の企画を早くお知らせできればと思います。
 ようやく、龍史さんとの確認が取れたので、一歩前進。

2019年6月21日金曜日

おおらかにありたい



 浜木綿は美しく庭に咲いていますが、棘々のは薊でもなく、これが蕾なのか花になっているのか私には初めてなので判然としません。もう丈は2mにもなりそうです。冷蔵庫の野菜室で根が出てたものを埋めて2年。一年目は葉っぱが思っていたよりも大きいのに驚きましたが、今年はそれに加えて高さに驚いています。花が見てみたいと思っていたのですが、我が家では不評なまま。
 ポンポンになったのは、紫玉葱の茎。だいたいが玉葱の茎ってどこ?と昨日のテレビでもありました。知らなかったです。これも2年目です。どうせ食べられないところだからと、これまた冷蔵庫の野菜室で育ってしまった芽を隅っこに埋めておいたら、今年はポンポン。しかしこの先は解りません。
 思うのに、植物には冬越しをしないと結実できないもの、一年草ではなく二年草のものが多かったという発見でした。
 以前、何かの会議で一年単位の事業計画への助成では期間に余裕がないと、審査する委員長さんが話されていたのを聞いたことがあります。それは農作物には天候で大きく左右される場合もあるというのが大きな理由でしたが、今思うとなぜ、事業年度ということで、生き物の時間を区切らなければならないのか。そもそも暦というのは誰が・・というところは父のテープの聞きかじりですから、脇に置くとしても、生き物が、その中に秘めている力は量る事ができないものだと思うのです。
 優生保護法の元に・・・そんな法律に異議を唱えてきた歴史もあります。異議申し立ては認められない社会にしては、より良い方向を示していくことはできないのです。人の歴史は長い間、自然界から学ぶことの方が多かったはずです。変異変則の生み出せる力を持っている自然に対しての畏れを持ち続けたいと思いながら、不思議な花々を眺めています。

2019年5月24日金曜日

水守り




 田んぼまで、することになったのです。我が家の田んぼの水守りに黒く塗られたブロックを置きました。なんで黒く?あの娘はいろいろなものを黒でキメていたから遺されたものも黒が多いのです。良いお米にな~れ。
 お母さんご飯美味しいね。きっとそういう声が田んぼでも聞こえる事でしょう。
そうは願っていたものの、この三日間は、田んぼに水を入れるために、持ち主さんから水の加減を聞いて、教えてもらったように連れ合いははじめたのですが、二晩経っても上手く溜まっていないと思ったら、コンクリートの畦畔なのですが、水漏れ箇所があるのです。しかも二年間の耕作放棄の間に持ち主が把握していなかったところにも穴ができていたという事で、本日は丸々穴埋め作業。
 土嚢もどきを作ってみたり踏み固めたり、季節を先取りした真夏の暑さの中を、家と田んぼの行き来も繰り返し、あれこれ資材を工夫しても石っころと土が一番いいんだと、土地の農夫は教えてくれました。
 水路の入れ口には蟹が居ました。水の調節をしているとイトトンボが二三頭、そして圃場は蛙たちの喜ぶ声。その下の川を泳いでいったのは、エラの黄色い蛇。
 木陰を作っているのは今の季節に熟した紫色になった実をつけた桑の木。
ひたすら、土方仕事でしたが、周囲にたくさんのいのちの姿

2019年5月1日水曜日

時


 四月の中旬に電波時計が止まってしまい、そういえば引っ越ししてきて丸6年だから・・・引っ越ししてきたのは、この土地の祭りである四月一七日。
 春祭りだったのですが、山之神さまは、とても強い女神だから・・いろいろな災いをももたらす厳しさを村の人は伝えています。改めて「異端の系譜」を読みながら、ようやくテープが揃ってきた中から、夏の企画に向けてどれを取り上げるか思考中です。
 昨日今日とお祭り騒ぎと言いながら、祭り本来の意味が革命だ、古い王は殺されて、新しい王を立てる民衆の力。そんな父の書いたものを力及ばずきちんとそろえていない文庫番。
 この20年ばかりを振るい落として、文筆に励みたいところを田んぼの準備も迫るのが春祭りでした。
 なんとか時間を生み出さなければと、懊悩する一方で、時というものは、為政者に操られるだけの事。宇宙の中で次元を跨げば始まりに戻るかもしれないところを、時計を定めるという事は他者の労働を支配していくのです。それは権力をもつ者は、他者の生存を与奪できるという、人類の愚かな歴史を受け入れるだけだから、自分のくらしの中の歳時記を綴れなければ、ならないと気持ちを改める止まった時計です。