2018年4月8日日曜日

水仙

 4月7日の朝は、6時前から目が覚めて、その日の朝を思います。兄に手紙を書かなければ、母の亡くなった日の事を。そう思いながら遅れ遅れになる連絡事項を片付けていると、いつも兄妹という間柄をぬるま湯のように、甘えていて筆が執れません。
 誰にも、看取られることをせずに、その覚悟で逝ったはずの母を、兄に伝えたとしても、これからの私たちの最終章が描けるものでもなく、いつかは人も死んでいくというそれだけが定めであることの再確認です。
 ギリシア神話の水辺に映った自分を見つめた青年のように、自分の姿を知っていくというのは人生の学びであるのでしょう。自尊心を大切にしながら、自己陶酔に陥らないようにたしなめる事の難しさ。自分で自然に習得できる者もいれば、諭しの中で理解が可能となる者、自己肯定ではなく、劣等感だけになっては虚しい姿をみるものもいるのです。
 八郷の硲さんから贈られてきた水仙だけでなく、元々あったものに、買い足した日本水仙、先日いただいた水仙、短歌の先生からのもあれば山野草の好きな斜め向かいのおじいちゃんからもらったティトティタ。いろいろな水仙が咲くようになりました。それぞれでいいのです。咲く時期もバラバラでいいのです。その都度にお供えします。

 


2018年3月21日水曜日

原本が届いて


 父の遺したイラスト図。弥陀の四十八誓願図。ここに鳩の木を使いレタリックで南無阿弥陀佛とした自筆のもの。滋賀県から私の手元にと送ってくれたものです。
 この図を大切にしてきた人たちの思いを受け止めるには私は非力だなと感じています。
一羽一羽のまなこに映っているのは、今までの、そして今の、これからのすべての事でしょう。オリジナルな唯一な四十八誓願図に、父が受け止めていた他者の苦しみ、悲しみ、非力、凡愚、煩悩などを、そしてそれがまた、父自身の苦しみ、悲しみ、非力、凡愚、煩悩などを覚っていつつ描いたのだと思うのです。仏画であるともいえるけれど、一般の寺に収まっていたような図ではないものを、裏打ちし額に入れて大切に扱ってくれていた人たちがいる。どれだけの、その思いを私ごときが、文庫番だといいながら、ろくに整理もできていない日々、そしてこれからの自分のわずかな時間で整理できるのでしょう。
 御開帳していくには、どうしたらよいのか、自問。
 

2018年3月13日火曜日

甘夏




 ちょうど、資料の掘り出しをしていた日に、配送で3個の甘夏が届いて、ママレードにしようと考えています。
 農薬を使わずに甘夏を育てるのは、水俣の生産者の祈りのようにも思えます。水俣反農連さんの95年のメッセージ。真ん中に杉本栄子さんの文章。文庫番が子育て中、自分の育った山で母が作っていた夏みかんのママレードを子どもたちにも食べさせたくて、2㌔箱で買っていた頃、中に入っていた紙が資料の中にあるのです。自分が山に居た頃石牟礼道子さんの「苦海浄土」を読んでも、障害者の人たちと暮らしている状況で、もとの働ける身体に戻してくれ!という意味のことばにはやはり距離を感じてしまい、それでいいのだろうか。本当にそういうことばだったのだろうか。その意味は。と長くしこりを残したままだったのが、杉本さんの文章に出会って、「生きんがために」そのことばで、共感できたのでした。自身が水俣病で冒されていたからこそ、無農薬のミカンでないといかんのだと。・・・。ここに熊本弁のままで書かれている深さ。そして、小欄に書かれているそれぞれの生産者の言葉。阪神大震災へのお見舞いの気持ち、購入している消費者への励まし。それを読んでいくと、ああ、誰しもが生きていくという事がいとおしい。写真の中のどの方だろうと一枚の紙を見ながら、ママレードを作っていたこと。
 今年も、3.11の味噌仕込みをして、台所から繋がる。一方的な支援ではなく、教えられることの交流を続け、それは、水俣と台所で繋がっていたこと、教えられたこととまた反復します。
 マハラバ文庫の「きなり歳時記」の中では、もとの働ける身体にという事の本歌取りで、働ける身体を損なった男は・・・と敗戦記念日の短文に使わさせてもらっています。それは反農連の一枚のチラシのことばで、こなれることができ書くことができたのでした。

2018年2月23日金曜日

今年は、咲くのか



 先日は、来客もあるということで玄関に立ち雛の額を出しました。そこに長く活けてあるのは、庭の河津桜を無造作に剪定した枝。約10日ばかり挿してあったらつぼみが膨らんできました。この2年まったくと言っていいほど花を見る事ができませんでした。
 うちには春が来ない。そんな年もあって花は咲かなかったのでしょう。それとも、庭の主は食いしん坊で、そうヒヨドリたちが花びらを食べているようにも思えるのです。
一回覚えてしまうと、年が変わってもまたやってくるようです。
 樹勢も悪くなってきているようだったので、枝をばっさりと冬の間に剪定して薬剤を塗布してありました。庭の川に向かったところに植えてあったものですから、脚立に上がったら心配で、下で押さえていたのです。落とした枝を家に持ち込んで無手勝流の花入れです。
 そう無手勝流。来客に話したのは、父の話。でも自分でも普段考えていなかった問いかけに戸惑いながら答えました。子供という立場は、親をどこまで客観的に語れるのでしょう。難しいことです。今年は花が咲くでしょうか。片付けたら茨城の皆に便りを書かないと。今年の冬も寒かったと。

2018年1月31日水曜日

一月は行く



  話の始まりは、そもそもは墨田で開いた学習会での、大潟村との交流の馬場目川上流にブナの植林をしに・・・・行くことにしたことから、遠路を寺下号でM&A企画を心配して、運転をかって出てくれたのは金城さんだったことからです。車中での話の中で、おやつといったら干し芋で、カチカチになって白く粉を吹いたのを焙って食べても甘くなって美味しいよね。そんな話ででかけた時のことからでした。その時には大潟村で芹のたっぷり入っただまこ鍋。
 それが茨城を愛する会で、ひたちなかに行き、北茨城に行き、あんこう鍋も楽しむ冬の企画になって。それから、数度冬のさなかの土日にあちこちを訪れてあんこう鍋。
 東日本大震災の年まで続けてみたのでした。そこの中身が「山仕事讃歌」に書かれていて、地域に対する愛着を考え、地域振興の行く先を考えると、そこに住む者の誇りであり、自分たちの価値を知ることだと結べたのは、茨城の同郷の中での話からだったようにも思っていたのでした。その金城さんが亡くなってお通夜の前にお顔だけおがまさせてもらって、山梨に戻って、その地での自分のこれからを考えるのでした。そして茨城を。

 この冬も、また春になる前に見送る人がいて、1月は行ってしまうのです。この2年間、特に思うことは、私たちの文化の中に写真というものが現れる前、遺影というものは無かったのだと、似姿を残すのではなく、人は何を手掛かりとして逝った人を偲んでいたのでしょう。一時も忘れることなく、生活の折々に思い出が蘇り、在りし面影が浮かぶのです。そうすると、現実の姿の意味と記録と記憶と、どれほどの差違があってなのか、お釈迦様の手のひらの上の時間もよもつひらさかも。電子上のことでないのは確かです。気をしっかり持ちたいものです。
 

2017年12月23日土曜日

一陽来復2017年


 八郷からはるばると来た水仙は、お正月迎えに華やぐようにと、健気にも川岸で蕾を膨らませています。
 このところ氷点下、毎朝霜にうなだれながら、日差しが高くなるとそちらに向かって伸びるように暖かさを茎に取り込むのでしょうか。
 八郷の南の、閑居山から、兄が山梨の我が家の玄関に来ました。
会うのは、次女が入院する前の時からだから4年近く経ったのでしょう。あの時の穏やかさはなくなり、表情は互いに固く、会話の糸口がないままで、同道してきた在家の方も、少しでも状況を好転させることができるかと考えられたのだと思いますが、どうだったでしょう。
 お茶をすすって、所在を知りたかった古い知り合いについて、私も解からないという事を確認できたら、戻っていきました。小半時もあったかどうか。
 そして、今朝のようにさらに寒さが厳しく、朝の冷え込みが肩のあたりで感じる日には、毛布にもぐって、また寒いだろうかと兄の吹きっさらしの小屋を考えます。
 会話が一方的になることが、在り方を難しくしているけれども、自他どこにその理由があるのか、探せないままについにこの年になっている、それでもまあ元気な様子にほっとします。 
 マハラバ文庫が、コミュニケーション・クリエイト。それは人生の最初から、会話の難しい状況の中で、互いの言葉を探してきているから。いづれ、最終章を綴るときがやってくるのでしょう。母が育てていた水仙のその系統だという花、この土地で、この寒さでも耐えていけるようにと、今日から陽射しが長くなることを喜びます。

2017年12月15日金曜日

山並みに日は暮れて


 茅ケ崎での二日間を過ごして、中央高速を山梨に戻る12月9日の夕景です。
連れ合いと高校時代からの友人は、閑居山に、父、大仏尊教のもとへ通い、当時のマハラバの人々ともなじんだ方なので、駅前ふらっとパルに展示された写真を見ながら、私たちも知らなかった話をしてくれました。
 神奈川での展示には、連れ合いも友人たちに便りをして、40数年を遡る時間を取り戻しつつ、現代を考えます。
 この夕暮れの下に、まだ、障害があるということだけで、生きる場の見つけられない人が居る。障害があろうがなかろうが、生活に困窮し自分の在り方を虚しく思う人が居る。
 友人が見せてくれた紙芝居「幸せな王子」。オスカーワイルドのもう一作「わがままな大男」と二つが一冊になっていたものを、父は私たち兄妹に与えてくれていたのでした。
 あの楽園を、また美しくしていくことは、できるのだろうか。