2015年12月16日水曜日

葉書にて


 母の本を出して、一ヶ月余り。慌ただしい中にいろいろなことばを頂いています。
どれにも、文庫番の気付かなかった内容を感じ、それぞれに受け止めてもらえたことを感謝するばかりなのです。その中に、札幌の病院から名取さんからの葉書もありました。なんと有難いこと。
 ご賛同をお願いした方々は母との交流があった人達だったのですが、その中でも、大仏照子の生涯とともに居た名取さんから、もう一度、書き足すべきエピソードを、綴って送ってもらえたので、父を語る際には、抜かしてはならないものだと、どこか、浮遊していた刷り上がり後の自分に叱咤をいただきました。

2015年11月11日水曜日

新刊のご案内!


 自分の親のことなど他人さまには読み難いものを。
書きながらもそう思っていたものだったのですが、文庫番は一冊の本として出しました。
どうしてなのかは、書かれています。冊数も少なく、力ない小社の販売ですがご興味をいただければ幸いです。
「無縁の地平にー大仏照子の生涯ー」2000円プラス税(2160円)マハラバ文庫 10月20日発
刊

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2015年10月29日木曜日

有難くて


 文庫番が、母の記録を書いているという知らせに、出版の折には送料もかかるだろうから、使って欲しいと一冊のファイルが贈られてきて、お互いの供養になればと有難く思うのです。
 あの、掘りごたつに温まりながら不自由な指先で一枚ずつの切手を整理していた姿。言葉が不自由であったけれども、鋭い感性と知性があって、そのもどかしさの中に、コレクションを続けていて、あれから40年は経つのでしょう。彼も亡くなり、そのご遺族さんからのお申し出。
 もったいなくて、これらを使ってしまっていいのだろうかと思うけれど、母の記録というのは実は、一人の生き方ではなく、繋がっている大勢の人達の生きてきた証。
 今回の本の中には、母の手紙や文章も多く入れてみました。そして父の手紙も。
あの頃を。文庫番も知らない月日を、母を、私たちを支えてくれていた大勢の人達。教えると言うのは実は教えられているのだと、父は言っていたのです。彼達の人生も断片として見えてくる本になっていれば、このお志しに報いたことになるのでしょう。
 

2015年10月23日金曜日

色校正が来ました


間もなく

 4月に一旦脱稿した文章なのですが、やっと本校了。出来上がりまでに時間がかかっています。
いろいろな問合せを重ねて梅雨に入り、返事を待って、やっと動き出し遅れに遅れたものですが、その後の校正で、出るわ出るわ文庫番の誤字脱字。
 再校、三校と重ねましたが、夢にも出ます。母の面影ではなく印字の列。その中に思い当たる誤字が浮かび上がってくる夢だなんて、試験前に一夜漬けの教科書の文字列の夢を見た時みたいでした。それでもあの頃は体力も気力もありました。
東京などと山梨との行き来の日にちの中に、赤ペンを入れていきましたが、まだまだ不安。
でも、本づくりは面白い仕事だと進めながら今回も思います。
 読みやすいい字体に趣のある色を選んでもらっています。
 長春色というのも初めて知りました。刷り上がりが楽しみです。
株式会社とは名ばかりの、家内労働で(社長兼務)、発送していく作業が間もなく始まるのでしょう。この数日の風邪気味も追いやって、体調整えていかないと。
 

2015年10月7日水曜日

感謝に満ちる秋


 この楓も種を付けていたのですね。いづれ飛んで行くのでしょう。明々後日の資料を作成しながら、穏やかに床に就きました。目覚めの気持ちの良い朝です。
 明けのカラスが鳴き交わし、村のお寺の6時点鐘が聞こえてきました。
そうなのです。いつも自分では大変だ、荷が重い、もうできない。そう思うような時にいつも支えてくれた人が居た。忘れてはいけないことなのだと思うのです。今ある事は過去を積み重ねて、それが資料作成の中に現れてきました。その時々は、精一杯に取り組んできたことが、不充分かと、未熟な考えだと思いながらも進んできていたことがなければ、ふり返る事もできないのです。
 畑で驚くほどの収穫物に、自分たちの足りない労働力や技術の下手さも感じるのですけれど、始めることが必ず終わりも見えてくる。ただひたすらに同じ単純作業を繰り返して、半日が過ぎたりするのですけれど、そこに喜びを見いだせるのです。
 十年を無駄にすることのない講演内容にしたいと、仕上げます。

2015年9月17日木曜日

こころの中のバネ

 

 風が流れるように 緑木がざわめくように 歌声よ、翼拡げて空の高みに響け  ひざまずかぬ心の歌を ひざまずかぬ心の歌を、燃え盛る炎と歌え
明日は我らのもの、幸せは我らのもの 
 今日 じゃなく、明日なんだけれど 超えるのは今日よ うひの奥山を今日超えるわけよ、あしたじゃ駄目なんだ、昨日でもないんだ。今日なんだ、今日ただいま超えるんだ うひの奥山を そうすればあさきゆめみし ゑひもせず こうきちゃうんだ。

 現在の社会が醜い、徹底的に醜ければみにくいほどそれがこころのバネになるんだ。それが闘争力なんだ!


 まさに、本日。母の文章に合わせて取り掛かっている父の講義の録音テープを問うのです。
60年安保の国会前から戻った父が、母に障害者運動をさせてくれと請う、その場面があるのです。
 それからの運動の歴史は無ではない。その証を綴ったのです。そして今父のことばも意味を為す。文庫番は過去を懐かしんでいるのではないのです。今の人たちと語っているのだと。
 マハラバが絶望の思想だというのは、そこからが、始まるのだからです。旗を揚げるのです。

2015年9月5日土曜日

蚕影さん


  シルクの里に越してきたのだけれど、ここでも、もう養蚕はされていない。
これは繭玉もかたどった蚕影山神社の碑が豊富郷土資料館に移転されたもの。この8月末に遷座式が行われたのだというので見に行って来ました。
豊富郷土資料館の中は、養蚕と絹の歴史、そして郷土の歴史がぎっしり。隠れた文化遺産。

 蚕影さんがもとはつくばにあった蚕影神社の分祀だったことも、とても親近感が増したのです。
金色姫の伝説もどこかで伝わっているのでしょう。
でも、もう養蚕をする人は豊富にはいなくなってしまいました。私たちが薪伐りをしていた山宮の方だったのでした。
昨夏までの二年間、下の畑には毎日のように来ていたのに入館するのは初めての郷土資料館では、技術継承としてのお蚕を育てています。
 郷土資料館、各地で見る機会があり、どこでもとても学びの多いものでした。実物保存というものが、身体的な記憶、記録なのでしょう。文献だけの記録を読み辿るのとは違って、身体的な同一性をそこにある民俗資料に感じます。そう思うのは、いわゆる旧世代になっていたのですね。まもなく資料館入り文庫番!?。
 しかし、農村とは、衣食住の基地です。
そうだったのです。誰ですかEコープの食糧基地構想などを思い出すのは。
 食とエネルギーの安全保障については、長く、文庫番も課題としていたのですが、「お百姓」という在り方に、暮らしの技があった事を、今更ながらに思うのでした。
TPPが潰そうとするもの。そうなのでしょうか、自分たちから手放して行ったのでしょうか。豊富はお蚕から果樹となり、そのために、農薬使用をして養蚕が難しくなったと言われます。明治の開国を支えた生糸産業は、その後の化学繊維に追いやられ、家の中の仕事は、見えなくなり。
文庫の通りは、30年ほど前までは、年に9期もあった蚕の時期には、仕出し、小料理、豆腐、製麺などのお店が成り立っていたところ。今は跡継ぎも居ないしもたやになって。
 各地で、民俗資料になっているもの。それは、私たちの身体的な記憶であると同時に、精神と、経済を語っているのです。
 展示を見ていると、年配の女性たちが、これもやった、糸も掛けた。お蚕も飼った。懐かしいねとお話しながら時間を過ごしていました。まだ、いらっしゃる、実際にいじる事が出来る人が、それなのに途絶えてしまうのでしょう。農とは、食だけで見るのではないということに行きついた山仕事讃歌。そこから引き出せるものは、絹糸のように長くしなやかに綴る事ができるでしょうか。