そうは思っているのですけれど、さすがに一か月以上前の情報を整理しているのは、このインターネット時代にどうなのかとも考えるのですが、マハラバ風土記と日月記をやっと書きました。
そういう躊躇いは文を練っていても出てしまいます。キレの良くない勢いのない文章になってしまうのですが、まずはやっと連れ合いの居る状態で私のペースを作れるようになってきたのと、新しいパソコンにバージョンを変えたソフトを入れてとしている部分と手打ちのも新しい技能でいけたらと欲張っているので、なおさら遅々としています。
文庫番の日常は、ほとんどがご飯つくりです。朝が終わるとすぐお昼。午後にある諸々もご飯の用意を整えるのが前提。その合間のお仕事。言うまでもなく稼ぎにはならないし、金銭には捉われない価値観を持って仕事を!と居丈高に叫んでいるのではなく、普通の事業活動はできないなぁ。とますます状況を見るのですが、少しずつ、大丈夫。なんとかなる・・。?。
2012年7月8日日曜日
新しきバラード
虹が架かった下を通り抜けました。
新しい叙事詩が、見つかりました。
「明日へ帰る」という冊子がマハラバ文庫発刊となりました。
その意味を考えつつ、スベリヒユのお浸しを作ろうと摘んだのです。
その本の中に綴られていた思いを、俯瞰してみたのです。
3.11の東日本大震災の記録集です。
水産加工メーカーさんが、畜産養鶏の生産者が、福島の農産物が、
そして、パルシステムの友好、会員生協が、肉・野菜の子会社が
食べる消費者が居る、暮らしている組合員が居ると、あの大震災・原発事故の時に
互いに思い合うということは、
食べる側が居て、「買い支える」ということは、いかなる銀行の融資を受けるより
意味があったのです。
いえ、まだ資金繰りも立たないなかで、製造を断念しないで、立て直し、続けてきたのは
あの三月に産直便が、寸断された道路を走って、供給できたのは、
逆に、組合員の出資している生協の子会社の商品を、被災地への支援物資とできたのは
現金として動かす金融であるのとは、別の新しい経済。協同の経済が、瞬時にはじまっていたのです。
競争の原理の復興・再生ではないのです。
もはや、協同のあらたな叙事詩は綴られて謳われ始めていたのです。
そして、さらにそこに見える、新しい歩みがはじめられたのです。
虹の根っこを探しに、こころ踊る歩みがはじめられました。
スベリヒユを摘んで解った事かもしれません。
2012年7月1日日曜日
2012年6月19日火曜日
2012年6月16日土曜日
ユリの開花、芝生の向こう、吊り鉢
ともかく土づくりからと考えたら、堆肥づくりからとなりました。現在暮らしている狭隘な家の台所で出る生ゴミ堆肥なのです。以前ベランダで数年かけて、ようやく黒くほんわかしたものは3月に梅の木の根のあたりに埋めました。
ということで、玄関先に義父が園芸資材を入れていた古いプラスチックの漬物桶を移動させ、かつお厚削りの出汁滓や野菜屑をぼんぼん入れて、朝市で買った米糠や、僅かな墨田の土を混ぜ、都会らしくない匂いが出はじめた頃、母のお供えに、古いお付き合いの信州のリンゴ農家さんから一箱届いた春リンゴの詰め物だった有機の籾殻にリンゴの皮・芯も入れて、匂い問題の緩和ができたものを、畑予定の場所に畝を作り埋めました。冬春中庭の草取りをして積んであったものも合わせてあります。
朝市でトージバさんから買った大豆を植えます。
荒れた土地でも大豆からが良い。と義父も言います。本日はその桶に入っていた石灰を撒きました。来週種まきできるでしょうか。私にも何の用事のない日は義父母の山梨見学デーです。
結構、不定休にした文庫稼業は、皆さんそれぞれが予定を入れるので大変なのです。不定休・無給でしょうかね。
私たちは、このくにの肥やしになるしかない。と考えた話を母にして、新潟で聞いた人間の土葬したところが一番良い肥やしになるんですって。と話したら、そう言われるとカトリックの神父さん達は土葬だったわと、教えてもらったのです。
その意味を今考えると、皇室が従来は土葬であったというのは、この国の土となる責任を果たしていたのだとも思えるのです。衛生上などは遥かに超えて、微生物と神格が一体だったのかもしれません。
火葬になる事を、立派な葬儀にしてしまったのはつい半世紀です。
2012年6月11日月曜日
感謝
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