2014年2月9日日曜日

受容ということ

 全てを白く浄めて覆い尽くす雪が積もって、義母の葬儀は私たちの記憶に残る日となりました。明け方からの天の贈り物を有りがたく、その日が滞りなくやり通すのをどうできるかを考えます。
 お隣さんが急遽貸してくれた道具を使わせてもらって道路から家の庭も掻いても掻いても降り積もる雪の中に、弔問の親戚を迎えます。そしてやはり雪掻きをしてきた菩提寺のご住職に経を上げてもらって、初七日までの供養を済ませました。火葬場まで行く道はまだ緩い水の多い雪がシャーベット状にある路面でしたが、帰りにはさらに積もった雪に車から降りて皆ブラックフォーマルで車を押しました。古い白黒映画の一場面のようですが、雪の坂道で必死に力を合わせます。タイヤの跡の無いところではふくらはぎ以上に積もっていました。
 選ぶことのできない日取りです。それにしても、記録的大雪の日になって、親戚中での話題に残るのでしょう。葬儀に立ち会ってくれたごく少数のものも交通の混乱に巻き込まれてしまいました。
 秋以降の覚悟してのくらしの中に、入れ込んでいた私たちのスケジュールは変更対応です。
 この日々の様子をどう表せられるかと考えると、言いようのない思いで、ただただ息を詰めるように寄り添い対応しながら、予断はできない緊張の中でした。特にこの半月は体力も落ち、食も細くなっているのを感じながら、できる限りを自分の力で過ごしたいという願いを全うさせてあげたいと連れ合いも望み、だからと言って、すでに決まっている予定はこなしていくと言う考えでした。前々日まで自分での入浴、下着の洗濯もこなしていたのです。連れ合いは緊急入院した時点では、味噌の里親プロジェクトの山梨での仕込みの企画も、お母さんだって一緒に見たいだろう。と私の生き方とこの家の在り方の一致を義母も望んでいることを応援してくれていたのです。それを説得し、今大事な事はあなたのおかあさんでしょうと、中止を決めたのです。
 半世紀近く、実の父母と暮らした期間より長く、日常を共にしてきた間柄でした。 当然、人それぞれ背負っているものが違えばたとえ一緒に暮らしたからといって、軋轢も、相克もでてきます。その互いを受け容れながら、くらしは共に営まれているのです。導師の講和には、故人の恩に感謝し、というのがありましたが、亡くなった義父母の恩に報いるためにも、年寄りの多くが亡くなる寒の厳しい寒さの中に、微生物の力を引き出し、仕込まれる味噌の力を伝えていかなければなりません。
 戦中戦後を含めて、苦労も多かった人生であったのに、自分の感情は平らかに、人を悪しざまにいう事のない義母でした。充分に甘えさせてもらってきたと思います。下町の東京大空襲を体験してきた人生に沿う事の出来たことは私を豊かにさせてもらえたと思っています。これも継いでいかなければなりません。
 一口ずつを、味わいながら微笑んで、手を握り、また微笑んで。そういう日の午後からの急変であったのですが、思いがけない早い容態の変化で逝った義母のすべてを白く平らかにしていきたい願いが降らせた雪の様でした。

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