2019年11月10日日曜日

不可逆なことを


 歴史とか時間とか、もとには戻らないと一般的には言われているものです。
最新の説ではどのように時間を捉えているのでしょう。
 デジタル化した録音を聴きながら、ストップ&ゴーのやりやすさが有難いです。カセットテープの切れてしまったものは、もう私には修復できません。
 少しづつを聴き取りながら、あれから社会は良い方向になっていたのだろうか。人の生きるという事は、なんと多くの事を背負っているのかと思います。単純に不条理と言っても、それの裏腹な事、別な立場から見れば当然の理屈というのも有りなので、正否ということも断定できないものだと言うしかないのです。
 人の心の中は複雑だ、とお礼の電話の向こうから聞こえました。そのままの複雑な人の心を思いながらの数日、過去タレントの覚醒剤でも再逮捕と、秋の叙勲者を紹介するのは同じラジオからの報道でした。どうしても堕ちていく人生と、実直に道を間違えない人生と。人間復興だというのも、やはり論じたりない言葉でした。わざわざ、人の運転で立ち寄った兄は、絶縁を告げて去りました。

2019年10月19日土曜日

台風の後で

 





週末雨も上がった庭で、秋の芽生えを楽しみます。だって、中央線復旧したって、各駅で相模湖乗り換え、高尾乗り換え、、、行きつく先までは一体乗り換え幾つ。時間も連結できているのに合わせるには大変。高速バスだってそうです。不要不急の移動は・・。籠っていようと思います。
おぎのやの釜飯の釜、ご飯を炊こうとしたら水漏れしたので苗床になっています。忘れな草が芽を出しています。私を忘れないで、その声は。先日の台風でのさまざまを考えさせられます。  避難所にまで行ったのに、立ち入りを断られた人。避難所に行くこともせずに溺れて逝った路上の人。  防災って誰のため、地域って誰のため、安全って誰のため、いのちって・・。 数年前に閑居山に行った時、ブルーシートを張って暮らしていた兄はこう言いました。「いのちを大切にしなければと言うのも間違っている。」そうなのだろうと。彼は父のしたことを追いながら、彼の論理で説いているわけですから、私も肯くところがあります。その兄は、10月に我が家に顔を見せに来ると、人を通じて連絡がありましたが、来ることを取りやめました。  この秋の台風で、命を守る行動を!していた者は、他者を排除していなかったのか。敢えて、地域の輪に入りづらい日常を作っていなかったのか。私の日常は、兄が訪れられないものではなかったのか。  ここの地域の防災訓練は、8月の25日にありました。そう、マハラバ文庫の夏期学習会の当日だったのです。地区の人たちは、参加者の出入りも見ているので承知と考えていましたが、行政にある生活支援体制整備推進協議会、云々。でその後あった会議で防災って訓練に出てこない人に出てくるようにする前に、もっと歩み寄れるようにできないか。との主旨(議事録は来ないので、自分の記憶)で実際に防災訓練当日、車椅子の人も遠くからくる学習会の企画をして、身近にある用具で出入りできた。という事も話してみたのですけれど、自治会長を終えて防災担当をしているという、上から、下からと、くらしの中の情報を表現する人物から、「そういう特殊な場合は専門家に任せて、我々は我々のできる範囲で・・」という切り替えしがありました。言っていることを聞いていない。伝え方がまずかったのだろう。状況は知らないのだから仕方ない。でもおかしい。「地域とは特殊な事の集まりじゃないのですか?。」とその一言で良かった。  まだ、私にはそれを伝えられる機会もありそうだから、相手の経験はそれとして、私の考え方をもう少し言ってみようと思っているのです。  自然災害から、どのように生きていくのか。それは日常の中にあるはずだから。 「私を忘れないで」忘れな草の苗が上手く育ったら、家の道路向かいの地域の避難集合場所になっている診療所の空き地にも植えてみます。  谷田部の収穫祭で買ったシクラメンは夏越ししたようです。ついでに、セロリ、コリアンダー、フェンネルなどが、ぎっしり芽生えている香草のコーナー。

2019年10月1日火曜日

やれやれと




 半年、6月の田植えからだと約4カ月になるのでしょう。初めての米作りはようやく脱穀し籾の状態にまでなりました。5年契約の田んぼはまた来年も米作り。
除草剤不使用天日干し。生き物多数。
面白し。(語尾の変化は終止形ではなく、甲州弁=村の言葉で同意のような促しのような場合・・・・この場合は動詞に着けるそうです。)用法は間違いでした。面白いものです。いまさらながらに、地道な手作業にほど近い、小規模自家用生産。実体験の無かった田んぼの秋までも、体験できます。
 田植え、草取り、稲刈りツアーだけではない、その間、あいだにある作業の組み立てで、主食ができていく。水の抜ける石地の田んぼ、猪が周囲に潜み、スズメは木の上から見ている田んぼ。そういう中で、この土地にあった作業が工夫され、くらしは営まれ。
ネズミや虫や雑草の種がこぼれる事を考え、稲藁は庭と畑に必要な分を取って、すぐに燃やすことにしたのです。脱穀に続いた日に燃やす作業も、やはり夫婦二人で午後の時間を目いっぱい使いました。消防にはちゃんと連絡して始めました。結構な煙が立ち上るわけです。収穫に続く作業も保管の仕方も、やってみて学ぶものでした。水の守りの黒いブロック石は引き上げてきました。

2019年8月28日水曜日

89年前の午年に

 8月27日、父は生まれたのです。男女の産み分けなどなく、午年というだけで、出生数の少なくなった時代でした。
 生まれてすぐに、おばあちゃん(文庫番の曾祖母)が、見分に来るので、祖母は出産直後なのに男の子かどうかを、ちょろっと確認したそうです。
 上二人が女の子で、曾祖母は次伯母が生まれた時は「またあまっちょか」と言っていったという事で、祖母にしてみたら、三度目の正直にかけた、後継ぎっ子でした。
 曾祖母は家付き網元庄屋の跡取り娘だったので、男子の出生が使命とも考えたのではないでしょうか。
 生まれた場所は東京府荏原郡駒澤村上馬、昭和5年の事です。終戦の年ぎりぎりまで、山の手の大空襲の前までそこに住んでいたのですが、、いよいよ戦局も激しくなったことで父親の居た茨城の山の中の寺閑居山願成寺に移っていったのでした。その年の12月に尊教と改名していることが残っていますので、15歳で僧籍に入ったと考えられます。
 そのような激動にもまれた多感な時代を何を思って過ごしたのか。
晃の名前を今回マハラバ文庫にアップした「聖道 念佛義抄文」に印を残している若き日の父。その一冊を楽しくも困難の多かった結婚生活の標として、また父没後の苦しい生活の中に離さずにいた母。
 学習会を終えた庭には、母の家の周りにも咲いていた秋明菊の蕾が膨らんできました。

2019年8月26日月曜日

月日は流れ



 8月24日(土)25日(日)マハラバ文庫での学習会に茨城から里内龍史さんが参加してくれました。学習会終了後は、大仏照子=ベルナディッタ・マルガリータの墓参りをしてから、また茨城に戻りました。
 懐かしい人たちの消息もあれこれ話している中に、この間かすみがうら市で逢った時に今年持つかどうかと話していた折本さんが亡くなったとの報告もあり、そうなのかと感慨深く思ったのです。
 ごく身内だけでのご葬儀であったという事でした。
同じ戌年ということで、私は比較的一緒に居た時間の長かった彼女。もう一人の青い芝の礎石。短歌集もあらためてめくります。

2019年8月15日木曜日

本棚から




 障害者と戦争。各自どのようにあったのかはそれぞれだろうと、想像するばかりで、戦争を知らずに、自分が育っているけれど、この本は「もう一つの太平洋戦争」障害者の太平洋戦争を記録する会 仁木悦子代表 立風書房 1981年。
 やはりカバーの折り返しにある山北厚氏の「戦争が私を小さくした」。記録した意味をあとがきに書いてある仁木さんの言葉。自分にとっては幼児から読み浸っていた「水曜日のクルト」大井三重子さんが仁木悦子さんの事で、世田谷のお宅に自分の子供達を連れて行ってお話を聞いた夏からも、長い年月が経ってしまっています。
 今年の夏。どこか何事もオブラートにくるまれていて、障害者問題も、パラリンピックで活躍、社会に地域に多くの障害者がともに生きる時代になりつつあるけれど、その一方でこの国はいつも、形代を流しながら自分たちは御簾の奥で世の中を見ているような生き方もあり。
 事実はすべてうやむやで、時だけが過ぎていくのがいい事なのよ。そんな社会が当たり前で、忘れないというスローガンは何に対してだったのか。本当のことをえぐらないで、その時の時流のネーミングだったのではなかったのか。では、ちっぽけな文庫番は、何を番していくのでしょうか。・・・・・平和。

2019年8月7日水曜日

いもっち



 天候には勝てません。長い梅雨の間も心地よいと草取り続けていた初めての稲作ですが、長い梅雨でした。。。
 同病相哀れむと言えばいいのか、あなたに言われても・・と言いたい、我が家の田んぼの下の田んぼは田植えすぐから伸びにばらつきがあり危ぶんでいたのですが、水が別だからと安閑と見ていたのですが、同じようになったのが、上の写真。
 下の田んぼの人が、ああ、これはいもちだよ。うちも消毒していなかったら、お前馬鹿かと言われたよ。育苗センターに聞いてみな。どこか調子の悪い話というのは弾むのですね。今まで話していなかったのですが、互いに田んぼの様子を見に来た道路際での話は先週でした。
 土日が過ぎるのを待って、月曜朝から電話をしたり、対応したり。
そりゃあそうだ。いきなり田んぼをはじめました。上手く行きました。なんて、代々苦労している農家さんに申し訳ないから・・。そんなこと言っちゃあいけなかったのか。あまり表情には出さないけれど連れ合いも悔しいのは分かっています。
周囲は皆慣行栽培だし、中途な無農薬でしたが、ここで全て刈り払って処分するのもあるのですが、共同で耕起してくれている仲間も一緒になって、いもち病対策のS化学の薬剤散布。稲熱病の洗礼。これは踏み絵なのか。それにしても、梅雨明けしてもすっきりとしない天候です。