2017年12月15日金曜日
山並みに日は暮れて
茅ケ崎での二日間を過ごして、中央高速を山梨に戻る12月9日の夕景です。
連れ合いと高校時代からの友人は、閑居山に、父、大仏尊教のもとへ通い、当時のマハラバの人々ともなじんだ方なので、駅前ふらっとパルに展示された写真を見ながら、私たちも知らなかった話をしてくれました。
神奈川での展示には、連れ合いも友人たちに便りをして、40数年を遡る時間を取り戻しつつ、現代を考えます。
この夕暮れの下に、まだ、障害があるということだけで、生きる場の見つけられない人が居る。障害があろうがなかろうが、生活に困窮し自分の在り方を虚しく思う人が居る。
友人が見せてくれた紙芝居「幸せな王子」。オスカーワイルドのもう一作「わがままな大男」と二つが一冊になっていたものを、父は私たち兄妹に与えてくれていたのでした。
あの楽園を、また美しくしていくことは、できるのだろうか。
2017年11月14日火曜日
チビ太の?
源助大根が大きくなってきたので、おでんにしました。面白いので串にさしてみて、チビ太のおでん?ケケ。。
おそ松君を兄とテレビで見ていたころには、チビ太が浮浪児だとは知らなかったのです。それよりどうやって六つ子を見分けるか、そんなことに気が行ってました。キャラクターの中では、あまり面白くなかったけれど、今格差とか、子供の貧困だとかに、どこか変な肌に合わないことばを感じるのに、浮浪児という呼び方には、チビ太の何物にも依らない自由さを感じます。何かのこだわりがあって、おでんなのだったとは思うけれど、それを見ていた私たちも、空気として彼も我も同じ地平に居ることを、腹の底で知っていたと思います。
今、私は食べきれないほどの鍋を煮ている。兄は・・・満ち足りているのだろうか。あの分かち合って皆で食卓を囲んでいた、マハラバは昔語りではないはずだから。
2017年11月12日日曜日
2017年11月8日水曜日
新芽を用意して
川の湿度と、暖涼の差のあるところの紅葉は、美しいです。庭のヒメシャラ?夏椿?の葉は色づいています。その枝の先には来春に向かって、力を秘めた新芽がきちんとついています。
私のライフワークである、父の資料を整理してきたことから、~ともに生きる~「大仏尊教写真展」をパルシステム神奈川ゆめコープさんが本部ビルを会場として開催してくれています。昨日はオープニングセレモニーにお招きいただき、写真展主旨の話を、しどろもどろながらしました。山梨の自宅で、自分で説明するのとは違い、写真パネルをお預けし、自分が立ち会わない間も、他の人に伝わるようにするのは、文庫番の力量を超えていることなのです。説明文章を今回は作ってみました。パネルの説明ですが、父の生涯の概要と、マハラバ村の生活の片鱗を知ってもらえたらと書いたものです。
今の社会の課題として、障害者殺傷事件や生活保護なめるなジャンパー、そして差別のいろいろ、社会化しにくいものをとらえて、共有することで一歩でも踏みだしていきたいという開催主体であるゆめコープ吉中理事長さんの熱意が、開催に至ったことがとても良くわかる展示になっていました。今の社会の問題として、「ともに生きる」という大きな憲章を神奈川県が作ったこともあります。
私の中では、父を語ることにとどめておくのですが、そのしてきた事、特に神奈川の「青い芝の会」の人たちとの活動は、社会が置き忘れてはならないことだと、捉えてもらえたのですから、文庫番の資料整理も伝えていき公開していく意義を感じます。
あら~。。まだ着れると10年前のスーツを着て行って意気込んだのですが虫食いでした。穴があったら入りたい。いえいえ、説明が虫食いにならないように、10日にも茶話会として用意してもらった機会を、十分に活かしたいと思います。
2017年10月26日木曜日
亡国
亡国に至るを知らざればこれ即ち亡国
祖父は田中正造の演説を聴いたことがあると、母に聞いたことがあって、晃雄(こうゆう)さんもいろいろな事をしていたというから、そういうこともあったと考えています。でも、それはきっと、今回の衆議院選挙で大勢の群衆が立ち会った演説の群衆の一人と同じような群衆の一人だと思っています。何かで確証があることではないのです。
ですから、今また、それらの時代について書かれたものを勉強中。
最後には、菅笠と頭陀袋だけを枕辺になくなったという田中正造。およそ江戸末期の天保十二年に下野の国で生まれたものが見てきた開国、維新、そして・・・文明開化と言われた明治の、その底辺の暮らしをいかにできるかと、常に民衆とともに居たという。
この逞しい精神を祖父は肌で知ることができた世代だったのだけれど、今私はどうだろう。そのことを断片でも確かめていくことくらいで、得意げにしてはいないだろうか。そしてその息子であった父が生きていた時代も、すでに遠くなったことに、今、いまをどう生きるのか。
今回の選挙は結果もどうしようもないけれど、それ以前に立候補するものの志が育っていない社会であって、少しずつ良くなっていると百五十年前の人たちに胸をはって述べられるでしょうか。
それでも、抗うとはリベラルであるとは、勝ち負けではないと、だから残されている志を確かめていかないと。
・・・・・蜘蛛の巣を透かし見るバス停と、空き家の庭
2017年10月19日木曜日
貴重な夜明け
昨日は、何ともすっきりとした爽やかな夜明けでした。新月前の細い月と明けの明星を見て起きて、デジカメ写真を撮っておいたのです。このところ雨降りばかりでしたから、布団を干したり、夏のタオルケットを洗ったり白胡麻のあとの黒胡麻干したり、晴れ間の畑にも行ってみて、防虫ネットを剥がしてみたり、何故かネットの中で虫食いの白菜やキャベツに嘆いたり。
そんなばたばたしたところに、宅配で高山久子さんの著作。午後からは短歌のお茶のみがあるのでひとまずおいて、出ましたが、戻ってこの「青い芝の会」・生みの親からの伝言を読みながら、今求めていた多くの事が符号して、夜明けから、就寝までが、思い悩む日々を取り払った風が抜けて行ったような良い日でした。ご報告。
2017年10月13日金曜日
千代田PA
先日、いわきを中心とした福島被災地ツアーの帰りは、車中の寛ぎ時間を経て休憩が夕方の千代田パーキングエリアでした。高速降りたところは、歩いて閑居山にまで帰れるところ。カメラの電源無いから写真は撮れないし、。。恒岳先生の絵葉書の秋があったかな。
このところ、神奈川で開催される、父とマハラバ村の写真展の説明文作成中の福島行だったので、なおさら高速を降りていきたい、様々に昔を確かめたい人たちが居る。と、そんな事を思いながらでしたが、山梨の文庫に戻ったところ、恒岳さんの恋瀬山荘から、硲杏子さんから昨年のお約束ということで、母に由来する、閑居山からの水仙の球根が箱にぎっしりと贈られてきました。なんという嬉しいことでしょう。上手く山梨にも根付いて欲しいです。もう元の地には生えていないかもしれないものです。
硲さんは、園芸上手。昨年山荘を見せていただいた時も素晴らしかった。あの時は、恒岳先生もご健在で一緒にワインを楽しんだのに。小幡の秋の絵をアップさせてもらいます。今年の秋は、そして来春は、季節を彩るのは何でしょう。
そして、一緒に語った画廊「橋」の事。住井すゑさんの息子さんと、父と恒岳さんは同じ学窓で、そんなご縁もあった茨城の風景。母の持っていた「水平社宣言を読む」をあらためて読んでみるのです。一世代、二世代前の人たちに、顔向けできるような腹構えが私にあるのだろうか。。ただ故郷恋し、母恋しと言っているのでは、意味もない。
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