2017年11月12日日曜日

神奈川生協連合会のページに!

神奈川ゆめコープさんの取り組みがアップされてます。http://kanaken.or.jp/news/2017/171107_01.html

2017年11月8日水曜日

新芽を用意して



 川の湿度と、暖涼の差のあるところの紅葉は、美しいです。庭のヒメシャラ?夏椿?の葉は色づいています。その枝の先には来春に向かって、力を秘めた新芽がきちんとついています。
 私のライフワークである、父の資料を整理してきたことから、~ともに生きる~「大仏尊教写真展」をパルシステム神奈川ゆめコープさんが本部ビルを会場として開催してくれています。昨日はオープニングセレモニーにお招きいただき、写真展主旨の話を、しどろもどろながらしました。山梨の自宅で、自分で説明するのとは違い、写真パネルをお預けし、自分が立ち会わない間も、他の人に伝わるようにするのは、文庫番の力量を超えていることなのです。説明文章を今回は作ってみました。パネルの説明ですが、父の生涯の概要と、マハラバ村の生活の片鱗を知ってもらえたらと書いたものです。
 今の社会の課題として、障害者殺傷事件や生活保護なめるなジャンパー、そして差別のいろいろ、社会化しにくいものをとらえて、共有することで一歩でも踏みだしていきたいという開催主体であるゆめコープ吉中理事長さんの熱意が、開催に至ったことがとても良くわかる展示になっていました。今の社会の問題として、「ともに生きる」という大きな憲章を神奈川県が作ったこともあります。
 私の中では、父を語ることにとどめておくのですが、そのしてきた事、特に神奈川の「青い芝の会」の人たちとの活動は、社会が置き忘れてはならないことだと、捉えてもらえたのですから、文庫番の資料整理も伝えていき公開していく意義を感じます。
 あら~。。まだ着れると10年前のスーツを着て行って意気込んだのですが虫食いでした。穴があったら入りたい。いえいえ、説明が虫食いにならないように、10日にも茶話会として用意してもらった機会を、十分に活かしたいと思います。

2017年10月26日木曜日

亡国



 亡国に至るを知らざればこれ即ち亡国
祖父は田中正造の演説を聴いたことがあると、母に聞いたことがあって、晃雄(こうゆう)さんもいろいろな事をしていたというから、そういうこともあったと考えています。でも、それはきっと、今回の衆議院選挙で大勢の群衆が立ち会った演説の群衆の一人と同じような群衆の一人だと思っています。何かで確証があることではないのです。
 ですから、今また、それらの時代について書かれたものを勉強中。
最後には、菅笠と頭陀袋だけを枕辺になくなったという田中正造。およそ江戸末期の天保十二年に下野の国で生まれたものが見てきた開国、維新、そして・・・文明開化と言われた明治の、その底辺の暮らしをいかにできるかと、常に民衆とともに居たという。
この逞しい精神を祖父は肌で知ることができた世代だったのだけれど、今私はどうだろう。そのことを断片でも確かめていくことくらいで、得意げにしてはいないだろうか。そしてその息子であった父が生きていた時代も、すでに遠くなったことに、今、いまをどう生きるのか。
 今回の選挙は結果もどうしようもないけれど、それ以前に立候補するものの志が育っていない社会であって、少しずつ良くなっていると百五十年前の人たちに胸をはって述べられるでしょうか。
 それでも、抗うとはリベラルであるとは、勝ち負けではないと、だから残されている志を確かめていかないと。
・・・・・蜘蛛の巣を透かし見るバス停と、空き家の庭

2017年10月19日木曜日

貴重な夜明け



 昨日は、何ともすっきりとした爽やかな夜明けでした。新月前の細い月と明けの明星を見て起きて、デジカメ写真を撮っておいたのです。このところ雨降りばかりでしたから、布団を干したり、夏のタオルケットを洗ったり白胡麻のあとの黒胡麻干したり、晴れ間の畑にも行ってみて、防虫ネットを剥がしてみたり、何故かネットの中で虫食いの白菜やキャベツに嘆いたり。
 そんなばたばたしたところに、宅配で高山久子さんの著作。午後からは短歌のお茶のみがあるのでひとまずおいて、出ましたが、戻ってこの「青い芝の会」・生みの親からの伝言を読みながら、今求めていた多くの事が符号して、夜明けから、就寝までが、思い悩む日々を取り払った風が抜けて行ったような良い日でした。ご報告。

2017年10月13日金曜日

千代田PA



 先日、いわきを中心とした福島被災地ツアーの帰りは、車中の寛ぎ時間を経て休憩が夕方の千代田パーキングエリアでした。高速降りたところは、歩いて閑居山にまで帰れるところ。カメラの電源無いから写真は撮れないし、。。恒岳先生の絵葉書の秋があったかな。
このところ、神奈川で開催される、父とマハラバ村の写真展の説明文作成中の福島行だったので、なおさら高速を降りていきたい、様々に昔を確かめたい人たちが居る。と、そんな事を思いながらでしたが、山梨の文庫に戻ったところ、恒岳さんの恋瀬山荘から、硲杏子さんから昨年のお約束ということで、母に由来する、閑居山からの水仙の球根が箱にぎっしりと贈られてきました。なんという嬉しいことでしょう。上手く山梨にも根付いて欲しいです。もう元の地には生えていないかもしれないものです。
硲さんは、園芸上手。昨年山荘を見せていただいた時も素晴らしかった。あの時は、恒岳先生もご健在で一緒にワインを楽しんだのに。小幡の秋の絵をアップさせてもらいます。今年の秋は、そして来春は、季節を彩るのは何でしょう。

 そして、一緒に語った画廊「橋」の事。住井すゑさんの息子さんと、父と恒岳さんは同じ学窓で、そんなご縁もあった茨城の風景。母の持っていた「水平社宣言を読む」をあらためて読んでみるのです。一世代、二世代前の人たちに、顔向けできるような腹構えが私にあるのだろうか。。ただ故郷恋し、母恋しと言っているのでは、意味もない。


2017年9月22日金曜日

秋彼岸になって


 やっと、今年の曼珠沙華は咲きだしました。子供のころは、ちょっと敬遠していた花。
故郷ではお墓に咲く花と言われていたり、緑の茎から突然長い蕊を立てた花びらが反り返る姿は日陰でみると、妖しいというよりおどろおどろしくも感じていたのです。
 その頃は、じゃあぼという葬儀はまだ縦棺の土葬でもあり、村の中の墓場に行列を作って人々が歩いていくのを、学校帰りに見たりして、閑居山とは違う、葬式宗教というのがあって、異界もあると感じたのかもしれません。
 2011年の春の彼岸には、文庫番の家には墓が無いと書いたのですが、今では家から歩いていける墓所に四柱の骨を納めてあります。相変わらず父の墓は、閑居山全体という兄の考えのままのようです。形にとらわれるものではないとした父の考え方を、正統に受け継いでいるのは、やはり兄の考えなのです。そしてどうしても社会と相いれない行動をしているように取沙汰される事も、読み解けば理解できる事なのですが、翻案者がいないと通じないままでしょう。
  写真展パネルの説明文を書かなければと思いながら、なかなか書き進まないのです。文庫番は、兄がどのように父の事を、そして母の事を考えているのかをゆっくりと話し合いたいと思うのです。同じ父母に対しても受け止め方は違うのは当然だから、それぞれが補完できれば、お互いが楽であるのにと、一つの事実というものが語るものの立場で異なるものなのだからと、機会のない照合を残念に思っているのです。
 現在の文庫番には、小さいころには不気味でもあった彼岸花、曼珠沙華が律儀にお彼岸をたがえずに咲くことにこころが休まるのです。励まされる力をいきなり、土の中から宙に放っているごとくにも見えるのです。
 自分の姿で、賢明に生きて行こうとするときに、多くの人が力を差し出してくれるのだと、学んできたのでした。

 文中、書き足し

2017年9月16日土曜日

角出せ


 幼いころから親しんでいた、ドリトル先生漂流記に大きな海カタツムリの殻にドリトル先生の一家?が乗り込んで航海をする巻があったのを思い出したのは、雨上がりの芝生に大きなカタツムリを見たからです。
 どういう種類なのかよく解りませんが、この近辺には居るようです。
家を背負ってその生涯を生きていくのですね。実家とか婚家とか出家とか、考えなくてもいいのでしょう。
 知人が、またその知人から兄からの連絡があったけれど、公衆電話だったらしくすぐ切れてしまったという事を教えてくれました。電話のあるところに居るのでしょう。私にはもう連絡するつもりがないのか、どうかも解りません。
 何を背負ってしまったのか。自身と一体のものが、生きている間は離すことができないのです。その心の中を推し量る事もできないのですからしょうがない。
 ドリトル先生は、ほぼ万物との会話もできて、こころを推し量る事も出来た物語でした。