2021年4月27日火曜日

縄文の時代




 25日の日曜日に甲州街道、釈迦堂遺跡博物館を訪れて、縄文時代人の生活を考えます。展示パネルに書かれている年代と説明にも、読み入ります。
 ムラが形成される前の年月の長いこと。有史と言われている文字には残っていない祖たちの暮らし。直接私たちにつながっているのでしょうか。もしかしたらマヤ文明のように忽然とこの列島からいなくなってはいないでしょうか。
 いつも電子レンジをどうするかという話になると、私たちは甑(こしき)で煮炊きしている訳じゃないから。と辻褄の合わない言い繕いをしたりしますが、この頃の食材と調理だって、どのような雰囲気だったのでしょう。狩猟採集の時代もあって、三度の食事が当たり前のような現代人とは違っていることでしょう。作物栽培だって、それを尊び願う以前に驚きが続いていたことではと思います。
 父のテープ起こしは、小休止で年度の会計もしています。テープの内容は、人類史を6000年は遡って解説しているところですが、それも根拠を研究者たちの書物や、発掘された遺物から読み取って論じているのです。何よりマハラバ村塾は、そこに集っていた人たちの共有の時間だったことがテープを聴きながらも思うのです。
 そのことから離れての、県内の立ち寄りでした。人が歴史の中で遺すことの意味。この釈迦堂遺跡の発掘品にはわざわざ欠片を別々の場所に移動させてあるものが発見されているというのです。
 その時代の祖である人々の精神の中にあった、感情とか知識などへの探訪をするには、ちょっとの時間の見学なのです。その短い時間にもかかわらず、今、自分がしていること、やらなければなどと思い込んでいることは、結局意味があるのだろうかと。11巻のテープの7巻目を文字として、考え込みます。

 

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