2020年7月8日水曜日

父祖の地に



 世の中はいまだ永続的な同調自粛をしなければならないのかもしれないけれど、父の命日でもある7月6日に、山梨から東京は通り抜けて茨城県に出かけたのです。怖いもの知らずの無鉄砲だなぁ。。私が行きは運転。
 田んぼの草取りで疲れた身体を休めるにもと一泊で、父祖の地を訪れる短い旅。中学生くらいの時だったでしょうか。父と兄と一緒に祖父の本籍の家に行ったのは。父は私たちをこの霞ヶ浦南端の地へ連れて行ってくれた時には、50年近く経って私が再訪することは考えていなかったと思います。兄は覚えているのでしょうか。
 祖父大佛晃雄が長男であったにも関わらず、跡目をとらなかったのは、一部流布している情報とは違い、曾祖母の家に婿と入った曾祖父と、祖父との関係であったと私が聞いてきたことの確かめでもありました。
 遠縁の叔母が、もう居ないんじゃないの。と言ってくれたように、祖父の出た家とは特定ができなかったのですが、その地の風景は私の記憶に新しく刻まれました。
 
 ちょうど梅雨前線からの雨は列島を覆い、九州では大きな被害も出ている今年。この渺渺たる湖面を思う時、祖父が生まれた年から明治を考えると、祖父が、渡良瀬の谷中の人たちに寄せた思いというのが、重なります。祖父の継いだ大佛の曽祖父の寺のあった土地でもあるところに、私は来ることができたのだと今回の旅を思いきって決めた連れ合いに感謝です。ただ、私たちが茨城を離れても40年近くなり、さまざまな記憶が薄れていて、父とともにあちこち行った事は二人の間でも覚えている内容に相違があるのです。
 今回で気持ちの上では一つ区切りとしていくことができます。歴史の中で伝わる事、伝わらないことよりも今、どう伝えるかが大切なのでしょう。宿から眺める景色の中に大きなギンヤンマが何頭も飛び交っています。強風が渦巻くように木立も大きく揺れるというのに、この大型のドラゴンフライは自由に風をあやつっているようにも見えました。空(くう)を生きている龍のようです。
 新利根川沿いを土浦方面に車を走らせるのですが、荒れて水嵩も増している土色の川に何艘もの漁をする川舟が出ています。ああ、これが霞ヶ浦湖賊の裔なのだと、祖父は褌の湿り具合で天候を読んでいた。と父が語っていた言葉が符合します。天気図やニュースだけであれば、自宅で安全を計っているかもしれないのに、川面を見て風を雲を読んで、くらしを立てている。変な自粛をしていない漁民の姿が、前の世代の生き方を継いでいるように見えました。人の生き方は営々とあるのです。
 筑波山神社にまで今回は行くことになって、東日本大震災直前に行って以来なのですが、大きく参道が変わった感じです。震災で石段がほとんど崩れたとも聞いたことがありますが、約10年ぶりです。行楽の山。憩いの山は、今は人のお参りが無いご時節。
 今年の秋の紅葉の季節には多くの人が登るでしょうか。拝殿に掲げられている御祭神と摂社を確かめます。ここにはアマテラスとともに蛭子も祀られています。一部おかしいニュースでアマテラスの子孫の誰々という言い方があるというのですが、それは蛭子もともに祖であることも言わなければなりません。
 ともに祖神は同じだというのが、神話の世界です。

0 件のコメント: