2017年2月22日水曜日

富士川街道を









 読めない地名ばかり!百々(どうどう)六科(むじな)下宿(しもじゅく)。
ナビに入れるにも、ああだこうだと読み方を考えて、とと?ふーどバンク山梨さんは以前の事務所を移転して、立派な建物になっていました。ちょっとだけお寄りしました。
 あとはゆっくりと、道路標識を見ながら、味噌仕込みもあちこち済んで、我が家分も今年は畑での収穫した大豆で仕込む事ができたし、一区切り。連れ合いが行ってみたいと話していた武田勝頼の新府城跡に行きました。
 車を止めて、本丸まで上がっていって韮崎をはじめ甲斐の国を見てみます。勝頼はこの城の完成を見ずに火をはなち、郡内の岩殿城に移ったと言うのですが、城跡は広大。
見下ろす武田領を考えていると、その頃の社会は何によって動いていたのかと思います。
資本主義ではなかったわけです。見えている土地を耕していた人々は、川で魚を獲り、山野で鳥獣を捕らえていた人々は、山城が燃えてご領主が滅亡しても営々と、生きて、世代をつないできていたのでしょう。それぞれの地名の中にも、そこに暮らしてきた人たちの営みが込められているはずです。
 資本主義はどう揺らいでいくのでしょう。食べ物を届ける。その傍らで、お賽銭箱には厳重な鎖と錠前。
 お金じゃないんだよ。自分に誇りを持って生きるということは。

 
 

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