やはり9月には考えてしまう。13日の金曜日!違います。2001年の9月11日と9月10日の二つの日。
どちらかだけがあったのではなく、一日違いのこの二つの日がくっきりと記憶に刻まれていて、考えるほどその二つの日の意味はパラレルに続いています。もしかしたら交差しているのかもしれない。日本国内でのBSE発生とニューヨークのツインタワー航空機追突事件。どちらもテレビの映像で見ていて、その意味が遠い事なのか、自分のくらしにそのまま突っ込んで来ようとしているのか。
切ないくらい、気持ちがちぎれるくらいに見ていたのでした。
電話の向こうで連れ合いも見入っているのが伝わって、同時。別な場所なのに、同じ画面を見ながら、くらしを裂くような、二日続けての報道画面。伝えると言う力についても考えさせられました。
いかに理解していないのか、この出来事は画面からの報道よりももっと知らなければならない事はあるけれど、まずは起こったことを観させられて。もっと演繹して考えられる力が欲しかった。
その後の年月の中に、BSEに関連していかにたくさんのことがあったのか。あの時の食い入るような少しでも、情報が欲しいという気持ちからは、何をもって30か月齢などになるのでしょう。
そして、やはり暴力的に、記憶に擦りこまれる世界貿易センタービルの崩壊。そこに突っ込むという航空機の異様さにアフガン侵攻が続いていき、イラク派兵、サブプライム破綻、リーマンショック。
この二つの二日の間に起った別々な事でありながら、どちらもグローバルという事の中にある自分のくらしを意識したものでした。
さて、そういう9月の記憶です。これらも忘れてはいけないことですが、今、毎日地面から石を拾って投げての時間に、これからを考えます。確かに自分を取り巻く空気ごと社会は押し流されて、TPP開国だ、税率だ、東京五輪だ、見えなくしていく放射能報道なのか。秘密保全法は、また相互監視の隣組を生み出すのではないか、など思っても、石を拾いつづけ、何も生み出さない行為を面白く思うとそこに居る「我」が見えるのです。そして、そのことによってこの空気と対峙しているように思われるのです。その我というのは、ぼやけて境目のないものになっていきます。幾数千年もどこかの誰かが地面の石を移動させていたのだと、その僅かな時間が今なのだと思ったとき自他一如。
今できることをし続けています。
この地面はなかなか、ものを生み出すには労力を必要とします。雑草ですら枯れる夏の日照り、表土を取り去る冬の風。そして石くれだらけ。だから桑くらいしか育たないのですが、換金できる繭でこの村は栄えた時期があったのでしょう。甲州の絹は横浜から世界へと出されていっていたのです。今は繊維も変わってしまって、産物は果樹とトウモロコシになっています。そう、有為転変は世の常です。名残りの街灯が庭の真ん前にあります。
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