2013年4月11日木曜日

江東センターの皆さまへ


立花4丁目 増田レア

 

 江東センターの皆さま、長い間お世話になりました。この地での利用は本日の配送で最後となりました。

 千石センター、立花センター、旧江東センター、江東センターと利用させていただき、千石センターでは、組合員活動の様々な仕分をしていると、センター職員さんの別積み、今とは比べものにならない別積みの量でした。野菜は蝋引きの段ボールでまだ配達されていた頃です。運転手より前に野菜の鮮度というトラックでの配達でした。

 その横で、難民支援の衣料品を箱詰めしていて、私たちは事業の箱は使えないので、近所にあった八百屋さんから箱を分けてもらい、なんか報われない。と思ったりしたものです。 同じように、連日通いながら互いの同じような作業に活動も事業も混然一体で、生協の在りようを創っていたのでしょう。専従と呼ばれたヒロミさんやヨロズさん、組合員でも思い出されるすでに逝かれた先輩方が、いつもセンターの事も店舗の事も考えそして話し、私を育ててくれました。佐原の玉子も懐かしい事です。常温でトレー置きで20日は大丈夫。大小混ぜて偏らないように自分の分だけ大きい玉子取ってはダメよ。と教えられ協同を学んだのでした。職員バンドの夢の島アースディ盛り上げもありましたね。

2階の破れたソファーでいつまでも石けんに香料は必要なのかという話をしていたのも、白いお粉を小袋に詰める怪しい作業も笑いながらしていました。

 立花センターは、まさに私のフィールドにあって、行政での雨水の取り組みもした頃です。PTAにも関わった中学校の道を隔てたところだったので、どちらもついでに行き来でき、課題も都合よく消化させていただいていました。中学校の親子活動に、石けんで知ったトンボのヤゴ救出をプールでしたり、50周年事業があった時には紙皿をつくる台紙にこんせん牛乳のパックと、裏白のOCR用紙をもらったり、家が近い利点はありました。大変だったのは地域の組合員活動で取り組んでいたボックス野菜の催しの荷受けを立花でして、私が自転車で運ぶという前夜に雪が降った時でした。センターまでの道は日陰で雪が残り、バランスを崩しやすい野菜箱を自転車で引っ張ったのでした。明治通りはすぐ雪がなくなっていて西大島へは届けられたのです。職員の皆さんの野菜の曳き売りとは別な意味で面白く思い出されます。今週の注文になる墨田の皮革産業についても立花センターの職員学習がありました。また、バイオディーゼルフュールにも実験がありました。地域とセンターは密接でした。当時は石けんの取り組みの赤ちゃんへの石けんプレゼントは今の様に業務ではなく、組合員の取り組みでしたので、ここのセンターで袋詰めもしコース別に職員さんにお願いしなければならないから、曜日とコースで別けるという事に、システムと組合員のくらしが見えたものです。センター祭りも、行政での消費生活者展も互いの学びの場であったと思い出します。

旧の江東センターも、自転車で行きました。バス乗り継ぐより楽でした。夢の島にある第五福竜丸のエンジンも自転車で見に行ったものです。年末のリユース・リサイクルものの回収に間に合わなかった時にも持っていったりして却って迷惑かなと思ったりでした。

年末は大掃除を済ませて正月用素材の配達が来ると、ものすごく充実した気分でした。

この頃も留守がちな私に替わって、家では義父が班内仕分をしてくれて助かったものです。組合員、役員の活動での留守になるので、なるべく配送の方にも全体像が伝わればと、配送日には1枚下手くそな字でしたが、当日の会議・活動内容を書置きしていました。

委託会社の方々の、素晴らしさにも助けられたことが多くあります。声掛けして下さることで、自分のくらしから考えられる事がたくさん出てきて活動にも活かせたと思います。

現在の江東センターは地鎮祭の時からお世話になって、隣の緑道公園も桜の散った今でしょうか。古いセンターから考えれば格段の設備と陣容になっています。カラーも統一されてます。今までの子育て時代、活動時代、高齢世帯を支える配送に感謝をしています。

センターの中には基幹物流さんからの運び込まれてから早朝仕分、配送、そして営業さん。懐かしい電話事務さんは、今はまたお会いできる機会があると思っています。地域の中に組合員のくらしがある、その事を繋ぐ大切な方々のお蔭で、一人の組合員として長く続けることができました。多くのセンター職員の皆さまに感謝申し上げます。

本日で最後の利用。そう言いながら、都県は変わっても同じパルシステムを利用できる範囲での引っ越し。そうそう引っ越しもまた生協の引っ越し屋さんにお願いしてしまいました。今後は新しい先で、それこそ培ってきた思いを少しだけ実行できるように、土に親しみ丁寧にくらしていきます。やはりともに創る。です。

今までの同じ住所で若い世代が残りますので、どうぞ声掛けしてやってください。

2013年4月8日月曜日

花を飾り

3月末から4月初め。年度の変わり目に、大騒ぎで引っ越し作業をしている最中に、北海道の母の縁のところを訪ねる事が出来ました。
 生まれたという岩見沢は電車の通過だけでしたが、育った町深川、父母の出会いの地富良野、縁の人々。実際に見て、話しをするという事。一周忌を前にそのきっかけをつくってもらった札幌の催しは時間のはざまにお邪魔してみましたが、単なるきっかけかもしれないですが大切な後押しです。
 不思議な生涯。まだ、引っ越しに取り紛れて、整理してないのですが、桜の終わる東京から同じ季節にまだ吹雪に迎えられ雪深い道を歩き、母の故郷を体感したことを記すことができます。様々な事が遅れていたり、雑になっている4月初めです。ですが、自分を見失わずにいる大切さがその旅行の中にあったと感じています。4月7日は、飯舘の味噌を受け継いだ味噌の再仕込みとなり、夜、子供が集まってくれて、そして叔母から届いた花も飾り過ごしました。
 

2013年3月29日金曜日

里山再生と食の安全を考える会にて


木の子のうた  原木椎茸会議に寄せて (二〇一三年三月二九日)

 

 ほら、まぼろしの味

 そう言って出されたものは、秋の山登りで採った

 煤茸の炊き込みご飯

 煤茸 香茸 猪鼻珍しい

 二〇一〇年の秋の恵みの御福分け

 これが、私たちが食べてきたもの、福島の飯舘のもてなしは

 もう二度とは採れないんだよ

 母さん方の、切ない笑顔に隠されて

 それは木の子の誉です

 

 木の子いったい何を考え、育ってる

 木の子、木の親の背中を見て育つ

 黙って見ているその姿

表っ面は、剥がされて、芯に残った生き方も

 先々、健やでいるだろか

 親は親として精いっぱい、水と大地と対話して

 清涼な、大気の蘇生を託されて 

 木の子よ伸びてけ、思いのたけ

 

 斜面に足を滑らせて、朽ち葉の匂いに

 冷や汗、脂汗にじませ、踏ん張って

 続けて来ている山仕事

 確かな証(あかし)があるならば

 多くのものに分けてやれ

 知恵なら、多くの仲間と語らって、寄せ合う中に

 ひょっこりと、己が姿で出てくるぞ

 木の子、木の親、声合わせ

 

 呼びかけます

始原の木々の父祖である

白亜、ジュラ、カンブリアと地質時代を遡り

大いなる、生命(いのち)の樹である御方に

相対の、岩なる大地の鉱物の

この惑星の同胞と、語ったことばは甦り

苦難はともに乗り越えて

願いを繋いで子子孫孫

母さん方の、笑顔が明るく晴れるのは

まぼろしにはしない、木の子の誓い        
                          
                                                                                                                                                                             

                                    マハラバ文庫 増田・大仏・レア

2013年3月25日月曜日

不忍池で


 今年の桜をここで観ると、またお江戸と距離を取り難くなります。今日は、子育て時代の、同じ幼稚園に通ったお母さん友達との雨の上野公園、不忍池。引っ越し前に、懐かしいお話をしました。池の面には雨の紋があり蓮茎の群生に続きます。ぐるっと桜並木は公園の中の花見の場所取りをしてあるところより、人が若干少なく、お互いに写真を撮ることもできます。子育ての時なら動物園は入るのですけれど、おばさん三人は、今はゆっくり観ることのできる花も雨も、自分の目で楽しめます。
 家族の事、年齢という事、暮らしの様々、子供によって取り持たれる地域の縁。今はそれぞれが別のところに住むのですけれど、共通する話題。下町風情のお蕎麦屋で五十肩と言ったら、まだ若いわね。と。 ちょっとお姉さんに言われます。面白い。
 人生は故郷を語り、子供を語り、衣食住。同じ時代を過ぎているこころ易さに、名残り惜しい時間でした。場を移してのティータイムはそのまま夕方仕度の時間にもなりますが、気遣う事も、それぞれの家で待つ人のご飯だけになっています。

2013年3月23日土曜日

現段階で

 いよいよ、実行段階なのですが話し合っていても微妙なところは現場判断。そういえば辻褄があうのかもしれませんけど、振り回されています。
基本的にダイニングに続いた押し入れを抜いて・・でももともとの持ち主の設計も、それなりにリフォーム段階で時代や、好みをうかがい知ることになり、活かせることと勘案しなければならないことがあります。中古物件を購入しそこに合わせて住んでいくにしても、都県を変えるのでなかなか進んでいませんでした。
ここを通しにする為には、入れてあった母の資料を、また動かさなければなりませんし、今後はコンパクトにしてここでも断捨離です。一年の喪を経ることでこころの整理ができることが、物の整理にもなると思うのですが、場所を占める物はなかなか減りません。そしてこころを占める部分は、どうなのでしょう。楽しい会話を多く残すようにしたいと思っています。
結局、私も含めた老人世帯だけでの引っ越しとなるのです。
さて、前の持ち主の食器戸棚は、壁一面にあります。良ければ使ってという事です。そうすると、今の住まいにあるのは、数年前のリフォームでの注文だった食器戸棚ですから、それなりになじんでいるのにです。さらに、前の持ち主のサイドボードをわざわざ引き取ってきました。その際に、建てた時の大工さんを紹介してもらってあって、工事が始まったのですが、地元の様々な関係業者さんがご近所に居るのです。有り難い反面、丸見えの気もします。
丸見えと言えば、戸棚に影の映っている人物が、義母と私にいやに力説して、私たち二人が顔を見合わせ大笑いしたのは、男性用のお便所小部屋は要らないじゃないのということへの反撃です。知らないだろうけれど立ってすると・・・・。そんなの知る訳ないじゃない。もう爺様も居ないしね。と女二人は思うのですが、もともとの家の造りにあるのには訳があったと納得。雑巾沢山縫ってあるから、各自お掃除しなくっちゃね。と収まります。
予算の関係があるので、当座のリフォームで引っ越しし、幾度かに分ける部分改装です。今の住まいは、中途半端な準備で物がごった返しています。

2013年3月18日月曜日

呻吟

まことに、苦しいのですよ。ついつい、これは書かなければ。この事を、新しいことばに表さなければ、いえ、私が新しい詩を書きます。って言っちゃった。。。
あれ以来、頭から離れていないのに、なにやかやに追われています。もちろん、味噌も仕込みました。出かける先への電話もしています。
苦手な人集めも、ほどほどです。
連れ合いと義母との、移動準備も進んできています。
 それなのに、浮かんでいる言葉を継ぎ合せて、流れをつくって韻を響かせる。
すらすらっとできる時もあれば、温めておいたものが花開くような時もあるのに、この難しさ。
期限は迫ってきます。徒に他人様の言葉を読んだりしてはなりません。くらしのことばは誰でもが使うもの、どこかで出てくる本歌取り。それだからこそ、一過性。
それでも、しっかりと母体を捉えて、新しい発芽を促すような、そんな一篇が生まれたら。
そして、多くの人を励ますことができたなら・・・。それが文庫番のお仕事です。お蔵の中は文字ばかり。

2013年3月13日水曜日

ノバホールにて

つくばノバホールでの神田香織講談公演 主催 脱原発ネットワーク茨城に行ってきました。午後からですので、お昼を済ませてマハラバ文庫の幟を持って。。。コンパクトなものですが。
昼の部、福島からの報告・立体講談はだしのゲン。夜の部 福島からの報告・立体講談チェルノブイリの祈り。そこにたまたまのご縁で知ることのあったお母さんたちの活動のご紹介をすることにしたのです。エントランスロビーでのチラシ置きに、英訳本の展示。少しばかりのマハラバ文庫の書籍販売。
 50肩ですからね。先日の伊達東の公民館で人参エゴマ味噌和えのお皿を取り落しそうになったのはこの肩が。。ですが、展示用のはだしのゲンは10冊揃い、そして足代くらいを販売したい我が社の本も。ガラガラと引っ張っていきます。東武線もつくばエクスプレスも便利なものですね。エレベーター使用にすると楽ちんでした。バリアフリーを実感。
ノバホールは駅からの利が良いです。ここは一昨年の3月13日に常磐線も途中で止まり、バスや常総線を乗り継いで着いた駅です。あのときの異空間から、日常の風景になったのかと、それともあれ以来空間のひずみがあるままなのかと思ったりしながら中に入ろうとすると、坂本さんがいました。良かった。今回のお願いをしたのはネットワーク500のお便りが来たことからです。ロビーには他団体さんも多くでているのに、割り込み場所を使わせてもらいます。実行委員長さんに挨拶しただけで良いのかしら。こういう催しものの受付の様子は主体的な関わりはしばらくしてなかったです。実行委員会形式での開催。取りまとめ、手配、諸連絡、そして当日運営という大変さなのに、置かせてもらってありがたい事です。そして、懐かしい人たちに会えます。良かった, お元気だった。そういう人たちが、また微かな商売の助けもしてくれます。
こころを支えてもらえる。お互いにとなればいいなと、あちこちで集めてあった霞ヶ浦の署名をお渡しします。そのうちにマハラバ文庫のホームページにリンクしますか。霞ヶ浦の天然ウナギと美味しい蓮根を安心して食べたいのですから。
 そのあたりの準備も済んで、開演前の入場者に、チラシを説明してお渡しします。演目がはだしのゲンですから、反響は良いです。皆さん、良くご存じです。脱原発関連の資料が多くあるテーブルの中なので、そちらもお渡しできるようにしたいですが、若干現金箱がありますので、場を離れ難い文庫番。ロビーにも中の講演の音は流れてきます。胸に迫る思いはあるのに、この場でゆったりと落ち着いているのは、ここが、居ても良いよと私に言う場だから。
その一言を、その感覚を欲している人たちが大勢居る。神田さんの伝えたい事、福島からの報告。そして、この地球上に多くの居場所を求めている人が居る事。
わたしは、運動の中に生まれ育ったのだと、あまりにもなじんでいる事を感じます。間違っても株式会社代表なのですけれど・・・・。あらら、味噌の里親プロジェクトのチラシも、出展者同士のやりとりで渡してしまいます。これで、売り上げ確保はできるのかマハラバ商売。そうだよ閑居山に関わった人が儲けようなんて思うわけないだろ。昔馴染みのいう事がその通り。
夜の部では、ホールの中の座席にも着いて、チェルノブイリの祈り。一部お聞きして、またロビーへ、終演後、片付けしながら、実行委員会の記念写真の中にまで入ってしまいます。良いのかしら?

お母さんたちが、この漫画ゲンという男の子を世界に紹介したいと思ったというそのご紹介。
「『はだしのゲン』をひろめる会」では各国語訳のための活動をしています。書籍申込み受け付けだけでなく会員登録も受け付けています。
はだしのゲンをひろめる会