2013年3月11日月曜日

悉皆

昨日は、煙霧という気象状況だったとやらです。東北道を飯坂ICに向かうマイクロバスの中で見た、舞い上がる砂埃の行進はそうだったのですね。真昼の禍々しさ。三月十日の大風も3.11の得体のしれない原発事故の影響も、その中に投影されるような思いで見ていました。68年前と2年前。
知らない68年前ですが、その朝を毎年義母と語ってきていました。でもその太平洋戦争を生き抜いた世代が、語れなくなっていくのです。
阿武隈川を渡るあたりから、風は強さを増して、バスも横揺れが激しくなっていきました。そして、伊達東の仮設住宅隣の公民館に天ぷらバス(天ぷら油の廃食油リサイクルバス)で着いて、そこではふんわりとした暖かい空気が出迎えてくれるのです。公民館の調理場から漂ってくる、懐かしい焚きたてご飯に、お汁の匂い。バスの中から、もうガラス越しに広間に用意されていたお漬物が見えるのです。ご飯にお味噌汁、漬物くらいなら、たっくさん拵えて待っているから。ああ、そのことば通り。なんて清浄さを感じるのでしょう。エゴマ味噌和えの香りに。
 これらの食卓をともに食べる。共食です。ともに創り、ともに食べる。そこに集う事。それだけで良かったのです。そして、そのことをどう続けていくことができるか。
以前に似たようなレポートを書いたことがありました。「私が作った食べ物なんだから。安心して食べられるの。」その一言が、どのようなトレーサビリティよりも安心を保障できるのだと。あれは遠い夢になるのでしょうか。そんなことはない。お母さんたちが大勢集まって、せっせと準備してくれる。そこにある安らぎ。までぃな暮らし。
味噌で受け継げるのです。伝えていくのです。数世代先までの継続で。
2013年3月11日。墨田区内、今までの年月で関わりの深かった方々にまた、味噌仕込みのご案内を配っていると2時46分を迎えます。
一昨年は、明けた朝に、これらの道路は横道にも車が多く、まだ所在の解らなかった母の居た茨城に向かうには常磐線は不通となって・・・・・。ああ、それもまた遠い夢。今を生きる私
先ほど手渡したり、ポストに入れたチラシで、参加してくれるでしょうか。
明日は、つくばに行って、少しばかりの本と、そしてご案内をしてきます。それははだしのゲンの英訳本の事。マハラバ商売はどうなっているのでしょう。昨日も背中に背負って行きながら出せなかった。またそうなのです。いつも、そうです。でもそれでも良い。亡くなる前の頃の電話で母と話したのはあんたいつから、そんなにものを売らなければならない人間になったの。その言葉。
思いもよらず、だって、、と抗弁したのですが、どこかで、そうなのよね。本当に必要なのは、ものを売る事じゃないのでしょう。とうっすらと思いながらだったのです。
昨日、最後に栄子さんは復興じゃなくて。と言いました。以前と同じまやかしを発展だとはしない、発展・・・。人を押しのけてある幸福を成功としてはならないと。そのための、味噌仕込みにしていくのです。
煙霧の後、は拭き清めて、チラシ配りからもどって箪笥の整理も窓を開けしました。だんだんものを減らしているのです。衣類の汚れも落として丁寧に使いたいです。悉皆屋。そういう言葉は今はあまり聞かなくなりました。洗い清め、染みを抜き。新しくなるのです。

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