2012年11月14日水曜日

資料整理

 

心太のように、資料がわが社の中に我が家の中に所狭しと、歴史的遺物と現在の生活がひしめいてあります。やっと今年の父の蔵書類の保管料は払い込みましたが、できればマハラバの資料整理が今後の仕事と思っているのに、事務所予定のところには、母の趣味のビデオやカセットテープ。そして支援資料が押し入れを占めています。今、その押入れは二間続きで使いたいために抜こうと思うと、また仕舞ったものを出さなければなりません。わが社の仕事は資料の整理が第一に定款にあるのです。
 そちらへまで持って行ったにしても、この約20年近くの議案書は文庫番には使用する機会もないことと区切って、担当の部署に送り返します。自宅での処分でもいいのかもしれません。総代会議案書自体は公開性のものであるのだし、個人情報でもないものです。でも、いつの間にか貴重な古文書となったのもあるようで、この際にとある意味返却です。
合わせて在籍していた時代前後の連合会の議案書もまた入れ込んでます。
 

 それなのに、減っていかない。集約されたものが議案書であれば、地域で活動してきた、個人の資料であるものが、持ち主のように減量したといっても、すっきりとしていないのです。こだわりの元。当時の気付きの糸口。いただいた相手。やはり石けんは運動だったのだと考えるのです。
 運動は、一人ではじめても、人と繋がるから、そこに居た自分も資料の中でまた発見して。
これでは片付きません。雨水の、海外派遣の、牛乳の、それら古い資料は個人のもの。
 この機会を逃さずに、気持ちの整理に、思いっきりと考えても自己への愛着にすぎない紙の束が残るのです。
 そして、自社のこの5年間の資料もまた、出版公開されているものの下準備のものが、捨てないままです。「米は実りて」「きなり歳時記2007-2008」「山仕事讃歌」「明日へ帰る」それらの資料はわが社責任になります。
 
 さらには、別な組織のプロジェクトを一つ継続中です。これも未整理にしておいたら、わけが解らなくなるのが見えます。断捨離なんて簡単にはいかないものです。
 それを考えると、経てきた組織の議案書の年数に対しての責任というものは、組織へ委ねられる。一組合員に過ぎない範囲だったのです。また、退任したものが、いつまでもあの時のあの判断はなどと個人の語りで言い出すのも、いかがかという事です。
 送り出せばまた、新しいものが注ぎ込まれる心太。

 地域・協同・主体と組織。

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