2012年11月11日日曜日

浜仕事讃歌 産稿

 本日は雨降り。それでも、幾本かの苗木を持って庭に行きました。松に桜に楓だったところが、桃栗柿に、大豆を来年植えるところ。そして苺や竜胆。笹も植えてみました。
茗荷、紫蘇。茗荷の歌は、湧いています。
 そして、庭に繋がる小さな畑となるべき場所。麦は芽生えませんけれど、菜種は揃ってきました。大豆は、今年の枝豆を終えて今は種もしくは味噌用の分が採れるのだろうかと、貧弱な実りを待っています。そこに麦穂が天に向かう姿を夢見ます。
 義父は、麦踏みは、草鞋でするものだと言いました。靴ではない。そうなのか、それだけ足に近い感覚で麦の育ちを知っていたのか。そして、飴を作る話を、この食べ物の事なら取りつきそうな嫁に教えるのです。麦を水に浸しておいて、アッつく釜で煮て、飴にするという。80年前の郷里への懐かしみを込めたことばで語ります。
 飴も作っていたのですね。浜で塩を作っていた話も良くしてくれます。そして、にがりで豆腐を作って藁で縛って歩いた事。味噌も醤油も、酢も、鰯が取れたら、釜で茹でて茶畑のたい肥にした事。
 あと何回、この話を聞けるでしょう。
 庭から帰った今夜。新しい話を聞きました。浜岡の家は、舟を持っていたから、サボウが回ってきて、え?お義父さん鯖が来るの?静岡でもサバ?。困った顔をして、砂を防ぐと教えてくれました。砂防。おやおや、砂防会館とはそうだったのか!。
そうではなくて、麦わらをさしてね。へ?麦を一本ずつ挿すのかしら。いや、言っても解らないだろうけれど、鍬で埋めて立てていくんだ。だそうです。
 わざわざ紙を折って、麦藁を鍬で立てていく形を見せてくれました。麦が砂防になるんですか!と訊く私に、しかたないと言う面白がる表情で、そして藁で蓑を編んだんだけど、俺は編めない。そこは私の得意分野。会津では、ミヤマカンスゲだし、和歌山では棕櫚のもあるし、形は国内でほとんど共通だけど、材料はその土地土地なんだね。と。すごいね、蓑も作ったんだ。ああ、そして桑も。
昔はテレビが無かったから、時間があったんだね。砂防は暮らしの中にあったんだ。浜仕事讃歌。唄いださなければ。そうだ、あの北に面したところでは、明浜でも、アマモを大事に植えていたのです。私たちが防ぐのは、くらしを損なうものからだったのだ。そこにクニがある。郷里の仕事が守るもの。ああ、私は唄えるのです。そして今、霞ヶ浦が防ぐもの。小さな庭の仕事は、忘れていない。そう思える雨の夜の食卓での会話だったのです。

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