2015年6月20日土曜日

食は地域にあるのだと・・・

                        浅川伯教・巧記念資料館の味噌甕
あさひや農場の小蕪のスープ

 ちょうど、泊まりにきた寺下さんたちと、我が家から足を延ばして、一日目に北杜市高根町の浅川伯教・巧記念資料館と二日目にあさひや農場へ行って来ました。
 浅川兄弟の資料館は、山梨での家を探し始めた頃から行きたかったところでしたが、近くまで行っても寄る事が出来なかったのを、寺下さんが韓国の友人を伴ってきてくれましたので、立ち寄りポイントの提案をしじっくり見てきました。
 戦前の半島での林業普及にあたって、若くして亡くなった巧ですが、兄とともに朝鮮文化への深い理解が、祖父の訓育の流れも含めて解りました。帯水の文化は世代を超えて審美に繋がるのです。この数年浅川家のような家庭での訓育素養の途絶が排他的な社会も招いている要素も多分に在ると考えます。人として育つ過程において文化への目を開きくらしの審美を共有することは、排他にはなりようがありません。
 これからの世代も違いを知り、他者を認められる生き方を選んでほしいものだと思います。そして林業・薪炭業は窯業と近いところにあることを思い出しました。
 資料館の出入り口近くに置かれたのは白磁ではない、この大甕。なんと味噌・醤油用だというので、撮りました。
 二日目は、久々振りに隣県長野の佐久穂まで行ってあさひや農場を訪問。
有機多品目の経営栽培をしているところを見てきました。韓国からの客人は有機農家さん。いつの間にか私達四人も蕪畑で黙々と草取り間引きを小一時間。圃場をあれこれ見るよりも、草取りが一番の学び。この季節に迷惑を省みず訪問したわけですからね。我が四畝の畑も草取りは他人事じゃないのですが、ちゃっかり引き菜の小蕪をたくさん持ち帰り、いろいろ食べる楽しみに。
 小さいので皮むきは一手間ですけれど、この蕪の香りを楽しみながら別の友人からもらった手作りベーコンを足して、スープ煮。この加工の段階が、産地でできるといいのにとつくづく思うのです。

2015年6月8日月曜日

ほ、ほ、ほたる


 ホタル観賞の夕べが行われました。小さな川沿いに1㌔弱川の両岸を行って橋を渡って戻る小一時間。
 今までに何か所かで、ホタルを観る夕べがありましたけれど、現在住む地域で蛍の里づくりの会まであるとは、繋がりを深く感じます。そして、ここも堆肥を地域内循環させていこうとしています。
 集合前には、蛙の声にも耳を傾けます。一段高いカジカガエルも聞き分けられたでしょうか。
4秒間隔のホタルの灯りが水の流れに沿って、目線の下を高低飛んでいます。草に留まったままの光がメスだということです。参加した子供たちの手の平の中に居るのはオスのホタル。
 カワニナの放流をしたり、河川敷きの草刈をしたり、水質検査も継続していると言う事です。ここに居る蛍は地元ホタル。放流した観光目当ての物ではないですよ。だそうです。
 暫くぶりの自然観察会に、墨田の荒川河川敷にヒヌマイトトンボの観察会に行った頃を思い出します。
 水を大切にしていきたい。そういう活動を住んでいるところでしていくこと。
次の日に防災訓練が行われ、はずみで参加して配られた水。
知らなかったですが、ここの市の名前入りです。
山梨ですからね。富士山でもなく南アルプスでもない、水
 こっちのみ~ずは。。

2015年6月5日金曜日

梅雨になる


 今日も、良い雨降りになって、まだ水の足りなかった大地が潤っています。
私の、大切な「水曜日のクルト」この中のある水たまりの一生という児童文学を読んで育っていたから、水をテーマとして、石けんも使い、くらしを語る事ができるのです。
 そして、三回忌となったよっちゃんの写っている「障害者殺しの思想」。今問う事はどれほど大きいことなのか、ただ懐かしいと読むのではなく、今に問いかけている、これからを創るために。
 大井三重子さんのパートナーの二日市さんたちと、横田さんたちとの関係。横塚さん。
今、軽々に言葉としての『障害者』を語らないようになってきています。それは社会が成熟し差別がなくなる障壁からの自由が得られている(バリアフリー?)と考えられれば良いのですが、言い換えれば良いものではない、言葉で定義するから差別が生まれるというものではないと、差別を生みだす自分を問うべきだと、闘ってきたはずなのです。徹底的な告発の姿とは。体制批判を遥かに超えていかなければならないのです。そこを、見つめるために。

2015年5月30日土曜日

ナンテン


 南天の蕾が膨らんできました。冬の間、氷に縁どられても真っ赤な葉っぱで、彩りの少なかった庭を彩っていた木にこんなに白い蕾が沢山。そして花が開いて、赤い実が成って、土に落ちて、新しい芽生えを持って来る。
 人生の困難を、転じてくれるというこの木を、多くの庭で愛でているのですね。
それだけ、人はそれぞれの困難に立ち向かって、乗り越えて、幸運に転じていこうと願っているのでしょう。
 その困難の多寡も、深浅も、言えないものです。人はそれぞれの受け止めなければならないことがあって、なのでしょう。
 私のこの一ヶ月、そしてこれから、人生最大の危機ではと思いながらしっかりと受け止めていこうと蕾を見ながら思うのです。凍結注意

2015年5月26日火曜日

お奨めセット


 僕のお顔も洗わなくっちゃ。久々に智恵子さんや美和子さんが遊びに来るかもしれない。
あの頃は(〇十年前)センターとは言わず支所だったけど、倉庫に在ったサンプルで委員会のメンバーでお奨めセットを作ったり、中に入れる文章を書いたり、直接メーカーに問い合わせをしたり、毎日が石けんまみれ、白いお粉を詰めて・・・いたんだ。職員でもないのにみんな熱心だったよ。
 どうしたら伝えられるか、毎日毎日楽しかった。自分なりの工夫でともかくやってみたから。
 これはね。三代目?パルっ子が新規加入でいただいたんだそうだけど、ボディソープのミニボトルも入っているし、あの頃の手づくり感を受け継いでいるのも感じるしいいんじゃないかな。
 色々利用してほしい。まずは子供の喜ぶ縫いぐるみをふわっと洗う講習会なんかいいかもね。
 

2015年5月22日金曜日

二つの旅で



 先週は、南三陸&石巻被災地応援ツアーと葛巻の植樹祭と立て続けに出ていました。気持ちは東京に残しながらも、決まった旅でした。

 この美しい海が、海が嫌いになって、と。。。でも、4年目になって、幾人もの口から、あの時助けることができなかった、その状況が語られるようになっていました。人は極限でも、助けたいという思いがあるのだけれど、なすすべのない苦しみ悲しみを抱えるのだと言う事。人類の記憶にそれは堆積して、祈りになったり、助け合いという呼びかけになっていたりしているのだという気づきがありました。支援というのは一方的ではないはずといつも思っているのは、その記憶が現れるからなのかもしれない。
 目の前で苦しむ人が居て、たとえ、親子兄弟でも助けられないという場合があって、それは、その場に居合わせない遠くだったとしても、その自責を抱えるから、自らの痛みでもあり今できる事を探すのだと言う事ではないでしょうか。
 人は、人の苦しみを助けたいと思い、その事が万人で可能な社会を創っていければと願うはずなのです。それなのに、諍いや争いを繰り返してきている権力。人の願いとは別な力なのだと言う事です。
 葛巻の、薪の学校の下には、冷涼な気候の中での水田、棚田を守っている女性が居ました。葛巻でも米の作れるところは少ないはずです。うちの田んぼは蛇穴や鼠穴ができてしまうので、と棚田の一番下の畔から、水を張る前に、土塗りをして数えて15枚の田んぼを丁寧に整えて、田植えになるという。人の暮らしと生き物の在り方と、季節の巡りの中での作業をしていました。
 この畔をつくる作業もできない多くの地域を思うと、ただ懐かしい風景だというだけではない大切さを考えます。
 人の暮らしと、自然の力と、折り合いをつけながら、日々は続いていくのです。
 

2015年5月5日火曜日

対の物


 端午の節句にはと、数日兜飾りの後ろに鐘馗様の軸物を下げました。
桃の節句の立雛の額と同じ小林恒岳画伯に画いていただいたもの。
長男が生まれた初節句に、父が揃えておいてくれたものです。
どうも、画伯も、和尚の顔にも似ていると言ったとか、渡される時に言われましたが、髭面になっての父が居るのかもしれません。
 母の生涯のあらましを書いた今、書き足りなかったところ、調べたりなかったところが続々でてきてしまっています。最終までに入れ込むかどうか。
 全体に考えれば、父の短かった生涯をあらためて書くべきなのだと解ったのです。起しあぐねているテープを書き留めるのを、どのようにすればいいか、その技巧として、あくまでも文庫番の知っている像を綴っていく事が肝要なのだと、そうでないと、母の生涯だけを浮かび上がらせても意味がない事なのだと、考えられます。
 あらたな一冊を始めなければなりませんね。
父の姿を厳めしい大きな声の和尚と言われるだけから、世の中の邪からの守護の姿になるように。