先週は、南三陸&石巻被災地応援ツアーと葛巻の植樹祭と立て続けに出ていました。気持ちは東京に残しながらも、決まった旅でした。
この美しい海が、海が嫌いになって、と。。。でも、4年目になって、幾人もの口から、あの時助けることができなかった、その状況が語られるようになっていました。人は極限でも、助けたいという思いがあるのだけれど、なすすべのない苦しみ悲しみを抱えるのだと言う事。人類の記憶にそれは堆積して、祈りになったり、助け合いという呼びかけになっていたりしているのだという気づきがありました。支援というのは一方的ではないはずといつも思っているのは、その記憶が現れるからなのかもしれない。
目の前で苦しむ人が居て、たとえ、親子兄弟でも助けられないという場合があって、それは、その場に居合わせない遠くだったとしても、その自責を抱えるから、自らの痛みでもあり今できる事を探すのだと言う事ではないでしょうか。
目の前で苦しむ人が居て、たとえ、親子兄弟でも助けられないという場合があって、それは、その場に居合わせない遠くだったとしても、その自責を抱えるから、自らの痛みでもあり今できる事を探すのだと言う事ではないでしょうか。
人は、人の苦しみを助けたいと思い、その事が万人で可能な社会を創っていければと願うはずなのです。それなのに、諍いや争いを繰り返してきている権力。人の願いとは別な力なのだと言う事です。
葛巻の、薪の学校の下には、冷涼な気候の中での水田、棚田を守っている女性が居ました。葛巻でも米の作れるところは少ないはずです。うちの田んぼは蛇穴や鼠穴ができてしまうので、と棚田の一番下の畔から、水を張る前に、土塗りをして数えて15枚の田んぼを丁寧に整えて、田植えになるという。人の暮らしと生き物の在り方と、季節の巡りの中での作業をしていました。
この畔をつくる作業もできない多くの地域を思うと、ただ懐かしい風景だというだけではない大切さを考えます。
人の暮らしと、自然の力と、折り合いをつけながら、日々は続いていくのです。
人の暮らしと、自然の力と、折り合いをつけながら、日々は続いていくのです。
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