2015年6月5日金曜日

梅雨になる


 今日も、良い雨降りになって、まだ水の足りなかった大地が潤っています。
私の、大切な「水曜日のクルト」この中のある水たまりの一生という児童文学を読んで育っていたから、水をテーマとして、石けんも使い、くらしを語る事ができるのです。
 そして、三回忌となったよっちゃんの写っている「障害者殺しの思想」。今問う事はどれほど大きいことなのか、ただ懐かしいと読むのではなく、今に問いかけている、これからを創るために。
 大井三重子さんのパートナーの二日市さんたちと、横田さんたちとの関係。横塚さん。
今、軽々に言葉としての『障害者』を語らないようになってきています。それは社会が成熟し差別がなくなる障壁からの自由が得られている(バリアフリー?)と考えられれば良いのですが、言い換えれば良いものではない、言葉で定義するから差別が生まれるというものではないと、差別を生みだす自分を問うべきだと、闘ってきたはずなのです。徹底的な告発の姿とは。体制批判を遥かに超えていかなければならないのです。そこを、見つめるために。

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