2015年6月27日土曜日

束の間に


 時間が無いないと言いながら、渋谷に出たついでに、ボッティチェリ展を覗いてきて、話題になっている大きな壁画の受胎告知の図ではなく、この個人蔵の受胎告知の丸い額に収まったものに感慨深く見入って来ました。子供の頃に、基礎的な名画物語として読んでいた河津千代さんの解説の少年少女教養文庫聖書名画ものがたり新約編に入っているボッティチェルリの受胎告知に良く似た構図だったのです。
 このBunkamuraで28日まで開催されている企画展はボッティチェリとルネサンス、副題としてフィレンツェの富と美という題になっています。
 文化芸術と富は一体なのだろうか。というのが、その会場で考えていた事です。そして富の源泉はメディチ家のもとは薬種、そして海運交易の中から生まれてきたもの。・・・・なぜ今、渋谷で、この数年で、明らかに町づくりから変容していくところで開催されているのか。蒸し暑い街路を歩きながら、普段の川風を受ける庭にいるのとは異なる美を考えたのでした。
できれば、短時間でそういう景観や、文化の変容を考えるのではなく、人類史の長さで考えたいものだと、一緒に歩いた娘と話しながらでした。
 
 

2 件のコメント:

Tawashi さんのコメント...

なぜ渋谷か?考えるポイントが面白いです。人類の歴史は数千年しかありませんが、今を生きる小人には今しか見えません。君子は宗教や戦争、愛や子孫を考えてるのでしょうが、小人は考えても理解できません。禅の世界で無を体感するのもいいかと思い、よく京都へ行きます。短い小人の人生、一つのことさえ満足にできません。面白い投稿を拝見して嬉しくなりました。

増田・大仏・レア さんのコメント...

Tawashiさん
 コメントいただきました。ありがとうございます。
 一つの事が満足いく人生は、多くの人が望むものでしょうね。京都で禅をされているのですか。
私はもともとは、山岳密教に縁があるものですが、禅もまた同じ境地に在ると思っています。