出かける前に靴を見たら、都会仕様ではないですね。土の残ったままでした。足元を見る。手も爪の先を見る、そういうゆとりはやっとできたかしら。
戻ってきたら、連れ合いが車の中で一日のいろいろを語った、空豆の種やゴーヤの種。零余子、朝顔の種が囲炉裏座卓の上に並べられていました。
少し考え事をしていたのです。お出かけは。
公正と平等の意思を体現し平和を希求する。それは万人の願いですから一人が背負込むものでもないわけで、ただ役割として委ねられている期間、最大限に表していくことは務めてきたかしら。今はどうなのだろう文庫番。そう今も文庫番としてその事があるのだから。ああそうだ、四つの綱領の事も。事業じゃないわね。この価値は。
そう考えると、この小さな種たちが背負っているものの大きさにまた驚きます。来年の春には継いでいき新しくなる。無造作に置かれたものたちは、公正も平等も問わない、あるがままの姿を受け入れているのです。芽の出るものもあれば、そうでないものがあってもそれが摂理であると。
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