2014年10月26日日曜日

生き物は


 大豆畑を何とかするということから、どう方向がいくのか、とうとう連れ合いは猟友会に入るまでになってしまいました。秋の猟期が始まるこの時期に慰霊祭をして、新人紹介ということで、出かけて行ってます。この写真は一昨日、その場所確認をした時の物。
 幾つかの産地で鶏魂碑や畜魂碑を見てきたことを思い出します。どこかで鰻魂碑も見たかも。
 実際に、たかが大豆と言っても[いえいえ畏れ多くも]庭で作るのと違い、里山畑は猪・鹿の運動場。カラス大先生も土に学べと啄むのでした。私たちの食べる分と、鳥獣たちの食べる分と、地面はすべての生き物のものだから、何を畑と言い何を宅地というのかも、人間さんの御都合なのに。(どこかで領海だ領域だと、いくさ船やら、いくさ飛行機を持ちたいものが決めていて。)
 慰霊をさせてもらい、、適正な在り方を学ぶということをせざるを得ない、ひともまた生き物。栄子さんが教えてくれた農業とは、生き物との食べっ較べだからな。競争だから。そう競争社会から逃れるために土に向かうのではないのです。生きるということを問い続けるためにあるのでしょう。
 父の言った“絶望”とは何なのか、一切を捨てるしか生きられないとしたら、それは獣とはどう違うのか、人間道を生きる。六道を彷徨う旅もあるのでしょう。ただ食べる。食べるとは何か。農とは何か。
 資料をまた括っていきます。文庫番はことばを紡ぎだすように編めるように、ほどいて巻きなおして、そういう作業なのだと、秋の日に思います。葉っぱは紅を深く、そして来春の芽を備えて。

 

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