2014年10月20日月曜日

凛として


 道志村道の駅どうしで買ってきて三年目、年々蕾の数は増えて来ていますが、まだ土に合って伸びやかな感じには育ちません。それでも、この肥料分の少ない土でも花を開かせました。
  竜胆の花は祖母を思います。富山の城下に生まれ、維新後の武家の商売に長女として苦労をした人だったのだと聞いていますが、さらに東京に出て祖父と結婚した世田谷での生活から疎開した茨城の山の中で、戦中戦後。ぬかるんだ山道を下駄で小石を除けながら上がり降りをして。
 檀家が居るわけでもなく、政治に、布教にと八方に出かける祖父と一緒に、貧しい山寺で耐えて。
 さて、孫娘は、祖父母にも伯母たちにも、この子が男の子であったらと言われるのは、癪に障ることで、それなら男になれるものだと言ってくれと、言いたかったのかもしれないけれど、所詮それは在りえないのだから、社会の仕組みがおかしいのじゃないかと思い続け、懐かしむ家は長男である兄が継ぐのが、最初から決まっていて、どこかで追い抜け追い越せと思っても年子であるのはたった一年の差でも追い抜けないものです。
 決して悔しくて男勝りとかになりたいわけではなく、男女同権は、何から何まで男仕事をしようなどとは思わなく、台所であたたかくぬくぬく生きていきたいから。薪伐りをしなきゃならないのは、同じだけれど、昨年の薪割斧にさらに今年は、チェーンソーもこなさなければと、日曜日のズダダダ。。自家用の25㎝から、薪伐り仲間の35㎝もちょっと使ってみました。
 問題は!押えの足なんです。肩や腕の力で持つよりも、足で固定させて、薪が撥ねないようにするのには、体重を加えるのもさることながら、いかに踏ん張れるのか。
 ここでふと思うのは、道具って男の人に都合よくできていませんか。。。骨盤の形とか普段の生活習慣で、そんなに開脚で足を踏ん張ることもないのだと、言いたい!!。これはすでに国家九条あれ、骨格上、踏ん張り方が違うから、そうでなくても不器用な足遣いで、利き足でも、利き足でない方でも、薪を踏み押えにくいのです。そんな事、連れ合いに言いたくない。。 
 女性の活用だとかは、扱いやすい道具の検討開発や、まだまだ男だったらなどの時代から残っている、しきたりの中の悪弊を除かないと、祀り上げて、実務は結局男社会の習いのままで、動かそうとするには、無理があるのではないでしょうか。一つひとつの考え方の土台を認め合うことができて、活用ではなく、当然の在り方として並び立つし、だから人としての資質そのもので、尊重されるべき人は尊重されるのです。
 祖母の様にぬかるんだ道を下駄でちょっと小石を除ける。それでいながら、凛とした生き方のできたひと。ああ、それは理想。

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