2014年10月7日火曜日

風に乗り


 今年の秋も台風の行き過ぎた後に、夕空は美しい。
また繰り返す季節の一日になって、思い出も消えていくのだろうか。
 栗もお芋もキノコもおいしくなって、稲の穂も垂れて新米の荷ができる頃に台風が来て、過ぎていき、それを人の運不運とだけで言えないような気分を残しています。
 どの方面に、備えをすれば良いのでしょう。完璧ということはないのではないでしょうか。
 庭の先の川も水かさと勢いを増し、夜中から轟轟と流れていきました。上流から大きな石を流れは運んできて、私たちの家の直の岸に置いていきました。
 雨はさほどではなかったので、出かけられなかった自分をまた悔しく思います。
風の中に、いろいろなことばを聞いてしまうのは、自分に確信がない時でしょうか。それとも自分の在り方を確かめるためでしょうか。
 栗を煮ながら、故郷の茨城の栗さえ、楽しめなかったこの三年を思います。キノコがどうの海産物がどうの、すべて食卓で味わっています。お・い・し・いから。
 美味しいものを楽しめないなら、その事が被った苦しみかもしれない。害われた喜びだったのかもしれない。どちらにとって、生産するものにとって?食べるものにとって?。
 何故それを分けなければならないのでしょう。我が事としてともに苦しみともに被るから、楽しみも喜びもともにできるのではないですか。
 とくに肩に力を入れて応援なんてしているのではなくて、自分がするしかないことだからする。私たちの生きている時間なんて一時にしかすぎない。そして風が天をめぐり、水が石をも流し、変わらない。
 母の生きた在り方を、少しでも表したいと思いながら、引っ越しや始末で定かでなくなった多くの事に筆が進みません。毎日毎日、用もないのに電話をしていたのに、意図してない会話ばかりでしたから、他人様に伝えられるようなことばがなかなか出てきません。ただ懐かしみが戻ってきて、いづれは山の中腹にも届くだろうかと。

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