2014年11月5日水曜日

まだ早い・・


 麦踏にはまだ早いのに、毎朝猫の足跡が増えています。
ここは川に近い区画の落花生を抜いたあとですが、土を篩って小石を除いて、大麦を蒔いたところなのに。、お隣の家からの境なしの部分、河川敷とも言えるところなのです。地続きの庭の丸石の囲みの中には、いろいろな葉物野菜が防虫ネットに覆われて芽を伸ばしています。
 里山畑の胡麻も刈り取ってきているので、脱穀しなければならないのです。夏の間に処理でききれなかった大麦・小麦も蒔き時になってきました。自分の所での種だから、発芽するかどうか解りませんが、種取りを続けていくには、まず育てなくちゃ。でもそうすると残りをどうすればいいのかと。
また飴づくり、もしくは炊き込むかしら小麦はうどんにしかできないけれど。その前に粉にしたい。
 石臼が欲しいと言ったら、そういう余計な事を考える前にやることがあるだろ。。と。ハイ。
 猫の手も借りたいくらいな手作業での麦の処理。庭の中の石の置き所も整ってきたけれど、時間がこんなに早く過ぎるなんて、忙(せわ)しないのは人間だから。
 どの輩(やから)は猫らしい侵入者は己の時間を弁えているようで、なかなか現場で立ち会えません。逢えたならばその野良の生き方と話し合いたいのですけれど。ここまで労力かけているのだから、ここは、私たちの地面だと考えてくださいな。
 でも、猫含め動物たちに言われたことないですからね。ここからが、貴方の地面ですよなんて。同じ大地の上を共有しているし、同じ川面を楽しんでいるし。そういえるとこまで開き直れることができると良いのですけれど。自他一如。
 もう少し近くに手作業でやりきれる畑が在ったら。そんな夢のようなことを考えています。小豆とニンニクをどこに植えましょう。小麦は早かったかもしれないけれど、胡瓜を片付けた後に蒔いてみました。この秋に増えたゲンノショウコとサフランは根付いたようです。福寿草もいただいたのです。梅の落ち葉に埋もれています。冬遅くには輝かしい陽だまりに咲くでしょうか。
 少し、一段落したような気持ちです。薪も今週は焚くばかり。仲間の方々は本格的な脱穀日和だったようです。物々交換経済も、手造り礼賛もできる範囲に無理のないようにしなければと、昨年秋の、病院通いを思い出します。ケヤキの紅葉の中を車を走らせながら母にも充分な事ができなかった娘だったけれど、義父母には充分できたのだろうかとも思ったのです。
 そして、今。その分は、これからの生き方としたいです。ただ生きていく。私がここで生きていくという。めざせ経済的自立。家制度からの脱却。連れ合いとの互いの領分。そんなことはまやかしの言葉。
 自立とは結局なんなのでしょう。新聞もとらなくなって、インターネットの中は、自分の修行ではあるけれど、双方向という囲い込みは気に入らないし。それよりも、猫と語らう術や、鳥の話が聞き分けられたら、難しい自立についての答が教えてもらえると思うのです。

0 件のコメント: