2014年11月18日火曜日

葉書き



 柿の葉の色を描いたのは、自然の絵描きさん。大豆の収穫作業は野生の猪。
 金・土・日と、つくばの里山の再生と食の安全を考える会の企画に参加、渋谷での知り合いのパーティ、築地での安穏朝市と、つくばエクスプレスや、スカイツリーのような、またはターミナルステーションの人工の光と速度の中を行き来しました。
 まだ、その中に長女夫婦の住いもあり、渋谷からすぐのところには長男も居て、やはり東京で育った子供が皆残っているところも、足を止める時間もあると嬉しい。それでも、今の住いに戻ると、里山に向かい、家々の並びの間を通る時に志筑の小池からの坂をあがる記憶がいつも湧き上がるのです。懐かしさを重ねて、山梨の家に戻り、翌朝かかった電話に里山畑に行ってみれば、出かける前にはあったはずの大豆が収穫済。味噌用種用と考えていたのに残念です。
 大鳥居で大豆を作り始めて三年。庭の中ならなんとか実るけれど、そんなの大豆の一年の消費量のどれくらいでしょう。一家族の分くらいまかなえるという暮らし。私の育った時代にはと考えると、その頃の農村がどれほど、暮らしの基盤を備えていたのかが解ります。だからこそ、成り立ったマハラバ村であり、障害者解放運動の揺籃であったと考えられるのです。人間とは、何であるのか。そういう問いが身体的に土から離れることなく、ありながら、都会との行き来が可能であった。
 富良野にしても、志筑にしても、そして今居るこの地でも、兄の居る閑居山の今でも。何もないというのは、それはすべてあるという事なのだと。
 都会の生活の中で、浮遊しそうな心と暮らしをしているとしたら、繋がっているのだよとこの葉っぱを風に飛ばしたい。何もないところからはじまるのだと。

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