2014年1月6日月曜日

七草の用意に

 
 

実質、2014年は6日から仕事始めの人が多いようです。午前中に予約してあった義母の健診には連れ合いだけが付き添って、私は家に残りました。特に目立った変化はないようですが、義母は処方の薬は合わないと、判断しています。昨暮にケア・マネージャーと回った、一日ディサービスも好まないという事です。私たちは家族としての責任放棄であるのか、本人の意思を尊重しているのか微妙な今後を過ごすわけです。
 留守中には、台所の床を拭いてみます。一階の主だったところは掃きだして、客布団も片付けた後には、炬燵布団も干しておきます。日の当たる縁側はまるで温室のように暖かです。義母は生涯で初めて一人独占の部屋を得たのですが、そこは寝室であって縁側や、ストーブの横に寝たり座ったりのこの頃となりました。
 ぬるんだ陽だまりに出て、霜柱が浮き上がらせた庭の砂利に混じるガラス片を拾ったり、庭畑の麦の芽の中の小石を拾ったり。夏の間に撒いておいた小石はすっかり霜柱が持ち上げるぬかるみに埋まってしまったのですが、その代わりにガラス片も浮いて、たぶん砂利よりも持ち上がりやすいのでしょう、昨年春に掘り出した不燃物をまとめたあたりの地面にガラス片は光を反射するので、それらを摘まんで、燃えないゴミの日に出せるようにします。
 庭畑の小石はまた拾ってタイヤの下になる地面にばらまきます。ちょっとだけ、外も暖かい日でした。
 ストーブの前に戻って、運んできた薪の嵩と、事務所の時計を見較べて、時間を喰らい尽くす火、もしくは老婆が北欧の神話にあったのは、こういうエネルギーの輪廻なのかと考え始めます。水が土を通して木々を育て、それが乾かされて炎となって、また灰となって大地に戻り、その間をもらって、上に乗せてある薬缶や鍋の水を温めて、適度に人間のくらしに役立って。
 そうは言いながら、パソコンに向かうと昨年の火祭り300枚を超える写真と、その後の様々の枚数に、まさに時間に追われて仕事も進まなかった半年を反省し、今年は家内が健やかであることを願うのも意味があると思うのです。
 午後には少しだけの時間をまた庭ですごし、秋蒔きでも大きくはならなかった大根と蕪は連れ合いが抜いて、明日の七草粥に入れるようにします。土いじり一年目は、始まりも遅く、経験もないままでした。それでも、スズナ、スズシロ・・・と楽しむだけのものにはなっています。暮に届いていた七草セットと合わせます。
 

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