2014年1月27日月曜日

今できる事

 
昼さがりの二時間余りを近場の桑の木の伐採に、地域の里山・・・毎週土日の山仕事讃歌。これが限度なのでしょう。二人で出かけて、仲間と作業。申し訳ない初心者が短時間で。
 しかも、たいした加勢にならないからと二人で一人分の仕事に見立てています。
この桑の木も以前は地域の産業であり、国の基本であったもの。なによりくらしの組み立てだった木なのです.。人間も古くなると体幹が崩れやすくなり意識して整えることで、健やかな身体を保てると教えてもらいました。そして、組織にもそういう意識的な努力が必要なのではないかとも。併せて書かれていました。それは都とか国とか、、もっと身近でも組織とは崩れやすいすね。あ、身体。
 今ではお蚕には使用されなくなった古木を伐って、軽トラックで運んでいった空き地での薪割り。そこでも割ったものを運んでいた私に連れ合いはやってみたらと、薪割り斧を渡します。周りの皆さんは殿方ではないですか。こんなところで、おばさんにだって恥じらいはあるし、いつもの握りと長さもちがうのに、スパーンといくかしら。二、三本の試し切りのあとは、もう一人の女性と薪運びで終了。桑の生木は白いヤニが出るので、先ほどの斧もきれいに洗って解散。家の留守番は義母です。ストーブは熾きになっていますが、家は暖かい午後でした。
 家の庭には近頃の買い物でなによりうれしいコンポスト。ただのプラスティック容器ですが、昨年の夏の悩ましさ、そして今の冬枯れの庭に毎日見かける野良猫の足跡を考えると、冬の間は段ボール堆肥も試すことにしていましたが、しっかりとした容器での堆肥づくりが春前に準備できて良かったのです。そういえば、我が家の薪割り斧の入ったミニ田んぼももともとは、古い家で使っていたゴミ容器でした。容器。内と外。使えるものと使えないもの、いったい何がそうなのかは一見では解らないものです。生ごみとプラスティック容器どちらが値がついて、どちらが今の私に必要なものなのか。先々に必要なのか。
 台所では連れ合いがなんだか、毎日の食事のゴミの大半以上がプラスティックじゃないかと言っています。会社勤めの間は知らなかったのですね。だから幾ら言っても通じないくらしのことばがあったのです。
 衣生活もどれだけ変わったのか、桑の木が単なる薪となってしまう。人間の身を纏うものと、纏われている中身。内も外も価値のない現代。

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