2014年1月12日日曜日

現場

 今日は留守番日。お留守番ならできると先日ケアマネージャーさんに義母は話したのですが、その義母を一人で置いて長時間出ることは避けたいとなると、今日のように連れ合いが墨田に用があったり、私が終日出るような日は、どちらかが家に残る訳となります。一人の大人なんだから、別に大丈夫だろうと考えられるのはせいぜい一時間か二時間。それも、食事時間には誰かが居る方が安全だし一人で食べていてとはならないのです。何がそうなったのか、ストーブの前を居所としている冬の間に、火炉の扉を開け閉めも鍋の蓋の開け閉め同様に、ご自分の裁量で誰もいない間にしたいとなると、万が一。
 そうだからここが現場。気詰まりな嫁姑で本日は過ごしているのです。
事件は現場で起こる!介護現場のヒヤリハットだと考えられるといいのですけれど、確か、介護保険法を成立させたいというあの当時の女性たちの運動は、近親の無償介護ではなく、社会全体で高齢社会を支えられるようにだったのですけれど、現実には、頭の理論ではない鍋蓋、熱い扉。知らぬ存ぜぬは政治の世界ではない、この僅か一部屋の空間で出ることば。
 お正月二日のニュースもお江戸の話し。すぐにでも駆け付けたい気持ちが災いして、勢いたまに出た日には幾つもの用件を済ませてしまおうとくるくるして、却ってできない事を増やして、嘆きの中に落ち込みます。いろいろと先もって調整してあったら出向くことができたとか、お誘いがあったのにとか思っても、選んだ暮らしは今の三人暮らし。お誘いしてくれる人たちの事を自由だと羨ましがって、ところがどっこい。この純日本的同居スタイルを、手放してもしかたがない。誰かが女性は家にというのと似通ってきます。何世代も、どこの家族でもこのような緊迫空間が続いてきているのでしょう。
 そういえば、庭に出てもこの数日は連れ合いを梯子(脚立)に上らせて、自分は下から見上げて支えているけれど、これが合理的なのかどうか。秋に人間は養生してしまったのですけれど、その分庭の木々の剪定が遅れていたのを、この寒中に川から吹き上げる風にさらされて、下では霜柱を踏みながらかじかんでしているのです。いつの間にか、連れ合いの方が身軽にも見える。あれ?そうなんです。女性が家に居て。。そこが社会に発信すると言う立場であるのが文庫番。思わずそんなことに思い至って梯子を支えていたはずが手を離して携帯電話などしていました。
 夏も早朝里山畑に行った後は、自ら家に籠っていた文庫番。思いっきりストレスフルに、引きこもってるのですよ。朝市にも出店んしてない、肝心な取材も進めていない。なんの企画の案もない。そういう焦燥が押し寄せてきてパソコンの前から動きません。いたたまれないのは抜けていることが多い嫁なのに、いつも背中で台所を見て、行動に難癖つけられる義母だと思うのです。もっと寛容であったほうがいいと解っているのに、要らぬ責任感などを盾にして互いに不自由。そんな事考えていたら昼下がりに義母はさっさと散歩に出かけてお墓詣りをしてきたというのです。そしてあんたも少しは外を歩いてきたら・・・・。。


 
 

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