2013年8月4日日曜日

開墾の写真と呼ぶ


 
晃ちゃんと松ちゃんに見えるけれど、古い写真。

 金曜日、早朝大豆畑の草刈りとまだあきらめない補植の種まきをしながら、烏の声を聴きます。
もうすべて適わないのですから、逆に新参者の机の上しかいじらない私に、教えてくれている「カラス大先生」と考えることにしたのです。ともかく面白い。生産性は無い文庫番。出来も度外視してともかくやってみる事。隣の畑のおばちゃんが、まだ種があるんだったら蒔いてみれば。もったいないじゃん。といった言葉に救われて、農事暦も知らないからできるのです。
TPPですって。オタオタしないことにします。もちろん徹底抗戦の先頭に立っている畑だと思っています。けれども、出来高も質もカラスに学ぶばかりにします。すなわち例外なきと言われるけれど、同等に見てもらえるのか文庫番だから。

 そうすると、先日の横田さんの法要に携えた母の資料の中のこれらマハラバ村の写真がどれほど意味深いか。
 その席でも話したのですけれど、あの頃の農村は、ゆとりがあったということ。いきなり地方の一つの村のその中の集落の古寺に大勢の脳性麻痺者が集まって、自立だ解放だと論じているけれど、その社会保障をどうするのか、近在の住民たちも気になっていたはずです。どの家も、金銭的には豊かであったとは言えない農村の中で、この共同体を受け入れる度量があったこと。個々の人々をまだ私が茨城に帰ると郷里の人たちは消息を尋ねるように、一人一人の障害も人柄も、そこに像として残っているのです。
 そして、当時は、皆すなわち障害者も健全者も、身体性を共有していた、だからこそ、この写真が許されるわけで、今の高度な福祉行政と市民社会の中であったら、重度障害者虐待とも言われかねないのではという写真。
一輪車をバランスとりながら扱い、篠竹や笹に覆われた斜面をスコップで掘っている。
 でも、この一枚以外にも彼ら彼女らが、籐椅子を作っていたり編み物機での講習を受けていたり、例の鶏を飼っていたり、台所も皆で当番になって、自らの意思でその場に集まった人々。その象徴のように思えた写真です。おぼつかない社会への一歩でもあったけれど、マハラバのコロニーで、父性としての和尚さんが居て、母性としての奥さんが居て、そこからも自立を願って。
 実際の大仏(おさらぎ)の家族として、今私は、持っている写真の整理が始めることができるタイミングで少し早目ですが古びたものを出してみました。
 あの頃の、そういうまだ身体を使っての農作業が当然の時代に生かされていた・生きていた脳性麻痺者をはじめ障害者たちは、存在が社会を構成していたのだと、むしろ今の時代よりも。
人間としての存在を取り戻せるのだ!そういう実感を私は、早朝の僅かな烏からの学びで思うのです。土に触れ大気とのやりとりを体感する。きっと連綿と続く人類史の中で、排除ではなく受容を私たちは知っているはずです。豊作もあれば凶作もある。上手な畑もあれば見ちゃいれず声かけてもらえる畑もある。その中に、工夫して餓えない分かち合える文化を世界中それぞれの地域で持っていたのです。だから、オールディズの写真に見える中に意味を持たせられるのです。
 季刊福祉労働にマハラバ村時代の横田さんの写真を載せたいという事だったのです。
文庫番はこの母の資料整理を急がないと。新しい軸が見えているのだから。

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